日常に穿たれた小さな亀裂は、やがて世界の根底を揺るがす巨大な深淵へと姿を変えます。
前編では、主人公「梯子」氏が謎の紳士「岡田」と出会い、存在するはずのない“幸福な未来”を写した写真を手にし、謎の女性「ドト子」から世界の常識を覆す言葉を告げられました。
彼は今、人類の未来を左右するかもしれない、二つの勢力の狭間で究極の選択を迫られています。
「岡田派」が示す、亡き両親と暮らせる甘美な可能性。
「ドト子派」が守ろうとする、正体不明の「歴史の流れ」。
この選択の鍵を握るのが、ドト子が語った世界の構造、**「停点理論」**です。
中編となる今回は、この驚くべき理論の全貌に迫ると共に、それが現代科学や高次元の叡智といかに共鳴するのかを解き明かしていきます。
そして、一人の青年が下した、あまりにも重く、取り返しのつかない選択の物語へと、深く足を踏み入れていきましょう。

本記事のラジオ形式の音声版をご用意いたしました。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。

世界の仕組みを解き明かす「停点理論」とは?
ドト子は、混乱し思考の迷路に迷い込んだ梯子氏に、冷静に、しかし淡々と世界の真の姿を語り始めます。
それは、私たちが揺るぎない現実の土台だと信じてきた「時間」という概念を、根本から解体し、その構造を白日の下に晒すものでした。
フィルムのコマとしての世界:「停点」の概念
まず、ドト子はこう定義します。
「この世界は、無数の静的な“停点”で成り立っている」と。
「停点」とは、映画のフィルム一枚一枚や、アニメのセル画のようなものだと考えてください。
一つ一つの「停点」は、完全に時間が静止した「可能性」の瞬間です。
そこには動きも、過去も、未来もありません。
ただ、その瞬間だけの宇宙が、一枚の絵として存在するだけです。
では、私たちが感じている「時間の流れ」とは何なのでしょうか?
それは、私たちの「意識」が、これらの静的な停点を、超高速で連続して通過する(認識する)ことによって生まれる「幻想」に過ぎない、とドト子は言います。
パラパラ漫画をめくると絵が動いて見えるように、私たちの意識が膨大な数の停点を次々に体験することで、「過去から未来へ時間が流れている」という感覚が生まれるのです。
つまり、本当に存在しているのは、過去でも未来でもなく、数え切れないほどの、同時多発的な「可能性=停点」だけなのです。
「歴史」は編集済みのシナリオ?
さらに、ドト子は衝撃的な事実を告げます。
「宇宙が誕生した時に、我々が“本流”と呼ぶべき時間の流れの編集は、すでに完了している」と。
これは、無数に存在する停点という名の膨大な可能性の中から、あらかじめ主要な物語(歴史)の筋道、いわば宇宙の基本的な設計図が引かれている、ということです。
この本来繋がるべき停点の連なりが「本流」であり、私たちが生きる世界の最も確率が高く、安定したシナリオとなります。
それはまるで、壮大な川の流れのようなもので、私たち一人ひとりの人生は、その流れの中を進む小舟に例えられるかもしれません。
そのため、一個人の力で歴史の大きな流れそのものを変えたり(川を逆流させたり)、未来を全く別のものに改変したり(全く別の川に飛び移ったり)することは、極めて困難なのです。
もちろん、「選ばれなかった停点」、例えば「もしあの時、違う選択をしていたら…」という無数の“if”の世界を意図的につなぎ合わせることで、本来の流れとは異なる不完全な「偽物の世界(支流)」を作り出すことも可能です。
しかし、ドト子によれば、それは川の流れから切り離された淀んだ水たまりのようなもの。
起承転結という物語の魂に欠け、決して完成することのない、不安定で矛盾をはらんだ世界だとされています。
それは、後悔や願望といった強い感情によって一時的に形作られた、儚く、そして危険な幻影の世界なのです。
科学とスピリチュアルが語る「停点理論」の信憑性
この「停点理論」、あまりに荒唐無稽なSFの設定のように聞こえるかもしれません。
しかし驚くべきことに、この物語が生まれるずっと以前から、人類の叡智はこの理論の輪郭を捉えようと試みてきました。
現代物理学の最先端の仮説や、高次元存在から伝えられるスピリチュアルな宇宙観は、まるで示し合わせたかのように、「停点理論」が指し示す世界観と、不気味なまでに一致するのです。
科学的視点:量子力学からシミュレーション仮説まで
- 量子力学の「多世界解釈」:
ミクロの素粒子の世界では、私たちの常識は通用しません。
例えば、一つの電子は「観測」されるまで、A地点にもB地点にも同時に存在する、という奇妙な「重ね合わせ」の状態で存在します。
そして、誰かが「観測」した瞬間に、その可能性は一つに収束します。
多世界解釈では、この収束の際に世界そのものが分岐し、「電子がAで観測された世界」と「電子がBで観測された世界」の両方が“本物”として誕生し、並行して存在し続けると考えます。
私たちのあらゆる選択、あらゆる出来事のたびに宇宙が無限に分岐していく様は、まさに無数の「停点」が生成されていく描像そのものです。
あなたが右を選んだ世界も、左を選んだ世界も、どちらも失われることなく存在し続けているのです。 - 相対性理論の「ブロック宇宙論」:
アインシュタインの理論から導かれるこの時間観は、さらに私たちの時間感覚を覆します。それは、過去・現在・未来の全ての出来事が、一つの固まり(ブロック)として、4次元の時空に最初から最後まで等しく「すでに存在している」と考えるのです。
それは、物語の全ページが印刷された一冊の本のようです。
時間の流れとは、私たちの意識がその本を1ページずつ順番にめくっていくことで生まれる幻想に過ぎません。
これは、「過去も未来も存在せず、全ての可能性が同時に存在する」という停点理論の根幹と完全に一致しています。 - デジタル物理学とシミュレーション仮説:
物理学者ジョン・ホイーラーが提唱した「it from bit(ビットから生まれる実在)」という言葉に象徴されるように、「宇宙の根本は情報であり、我々の現実は巨大なコンピュータによって計算されたシミュレーションである」という、さらに踏み込んだ仮説です。
この考えは古くはコンピュータの父の一人コンラート・ツーゼにも見られ、近年では哲学者ニック・ボストロムによって精緻化されました。
この視点では、宇宙の状態はプランク時間(約10のマイナス44乗秒)という極めて短い単位で更新されており、その計算のワンステップこそが、一つの「停点」に相当します。
私たちが認識する滑らかな現実は、超高性能なコンピューターによってレンダリング(描画)された、あまりにも精巧な映像なのかもしれません。
高次元からの視点:バシャール、セス、そしてアカシックレコード
科学が物理的な側面からアプローチする一方、スピリチュアルな探求は、意識という内なる宇宙から同じ真理にたどり着いています。
- バシャールの「平行現実」:
高次元存在バシャールは、「時間は幻想であり、私たちの意識は1秒間に何十億回という驚異的なスピードで、静的な平行現実(パラレルワールド)の間を移動している副作用だ」と語ります。
この「静的な平行現実」は、まさに「停点」そのものです。
そして、どの平行現実(停点の連なり)を体験するかは、その人の思考や感情、信念が作り出す「周波数(波動)」によって決まります。
ポジティブな意識はポジティブな現実の停点へ、ネガティブな意識はネガティブな現実の停点へと、寸分の狂いもなく同調するのです。
ワクワクする気持ちは、あなた本来の周波数に最も近い、輝かしい停点へと導く、魂のコンパスなのです。 - セスの「同時時間」:
霊的存在セスは、「時間は直線的ではなく“同時的”であり、あなたが過去生や未来生と呼ぶものも、実際には“今”この瞬間に同時に存在する、あなたという大いなる存在の別側面に過ぎない」と語ります。
つまり、古代エジプトに生きたあなたも、遠い未来の宇宙船に乗るあなたも、今のあなたと同時に存在し、相互に影響を与え合っているのです。
これもまた、全ての停点が「同時多発的に存在する」という理論を力強く裏付けています。 - ラーの哲学「選択」が停点を紡ぐ:
『ラー文書』で語られる惑星連合体ラーは、宇宙の最初の法則は**「自由意志」であるとします。
この「選択」こそが、無数に存在する停点の中から、次にどの可能性を体験するかを決定づける、宇宙の根本的なエンジンなのです。
そしてラーによれば、その選択には大きな方向性、すなわち二つの極性が存在します。
一つは、全体の調和や他者の成長を願う「他者への奉仕(ポジティブな道)」。
もう一つは、自己の利益や支配を優先する「自己への奉仕(ネガティブな道)」です。
この二つの極性は、どの「停点」を選択し、どのような「歴史の流れ」を紡いでいくかという、意識の根源的な指向性を表しています。
全体の調和(本流)を守ろうとするドト子派の在り方は「他者への奉仕」の極性と共鳴し、自己の集団の利益のために世界を改変しようとする岡田派の計画は「自己への奉仕」の極性と深く結びついていると、考察することができるでしょう。 - 『神との対話』の「永遠の今」:
ニール・ドナルド・ウォルシュによる『神との対話』で語られる「神」もまた、「時間などというものはなく、すべては“永遠の今”という瞬間に同時に起きている」と断言します。
これは、全ての停点が同時多発的に存在する、という『停点理論』の世界観そのものです。 - アカシックレコード:
これは、宇宙の誕生から終わりまでの全ての事象、思考、感情が記録されているという「宇宙の図書館」あるいは「生命の書」とも呼ばれる概念です。
無数の「停点」の集合体は、このアカシックレコードの構造と極めて類似しています。
ドト子が語る「編集済みの本流」とは、この図書館に収められた、宇宙の基本的な設計図(物語のプロット)であり、私たちがそこから逸脱した「支流」を選ぶこともまた、自由意志として許され、その記録も全て残されていると解釈できるでしょう。
これらの視点から見ると、「停点理論」は単なる空想の産物ではなく、物理学と形而上学が同じ頂を目指す中で描き出された、宇宙の根源的な仕組みに関する、一つの極めて示唆に富んだモデルであると言えるでしょう。
対立する二つの勢力:人類の未来を懸けた時間戦争
この深遠な世界の仕組みを理解した上で、梯子氏を巡る二つの勢力の目的と、その思想的対立がより鮮明になります。それは単なる未来の奪い合いではなく、人類の進化の方向性を巡る、根源的なイデオロギー闘争なのです。
- ドト子派の目的(本流の維持):
彼女らが守ろうとする「本流」とは、いわば宇宙の計画、あるいは集合的無意識が選択した、最も調和のとれた未来です。
その世界線では、ある出会いをきっかけに、後にドイツの青年が「停点理論」を物理的に発見します。
これは、人類が自らの意識こそが現実を創造する力であると自覚し、内なる神性に目覚めるための、重大な霊的進化のステップです。
これにより、人類は第三次世界大戦のような大規模な自己破壊を回避し、より平和で精神性の高い文明へと飛躍することができるとされています。 - 岡田派(ネクタール)の目的(支流への改変):
一方、岡田派は、この「本流」を自分たちのエゴを満たすための数ある可能性の一つとしか見ていません。
彼らは、停点理論の発見を阻止し、人類を霊的な目覚めから遠ざけ、物質的な欲望と恐怖に縛られたままの状態に留め置こうとします。
彼らが創り出そうとする「偽物の世界」とは、科学技術は停滞し、管理・支配されたディストピアです。
そこでは、人々は真実を知らされることなく、与えられた情報と娯楽の中で、魂の成長の機会を永遠に失います。
彼らの思想の根底には、「人類は自らを正しく導くことのできない愚かな存在であり、我々のような優れた指導者によって管理されるべきだ」という、自己への奉仕と他者を支配コントロールするネガティブな意識の現れかもしれません。
梯子氏という一個人の選択は、彼が意図せずして、この二つの全く異なる人類の未来像を決定づける、宇宙的な天秤の支点となってしまったのです。
究極の選択:世界の平和か、愛する者との未来か
世界の平和か、個人の幸せか。
あまりにも巨大で抽象的な天秤の両端に、梯子氏の心と魂は、限界まですり減るほどに引き裂かれます。
ドト子の言葉を信じるなら、人類の輝かしい未来のために、神社へ行くべきではない。
それは理屈では分かっています。
しかし、彼の脳裏には、あの“ありえない写真”の光景が、甘く、そして抗いがたい毒のように、絶えず焼き付いて離れませんでした。
事故で亡くなった両親が、幸せそうに自分と妹に笑いかけている未来。
それは単なる写真ではなく、彼が心の奥底で渇望し続けた、「もしも」の世界が物質化した、強烈な引力を持つ特異点でした。
妹に「完全な家族」という、自分が奪ってしまった(と彼は信じている)温もりを与えられるかもしれない、という断ち切れない未練と、深い罪悪感。
自分の不遇な境遇を逆手に取られ、世界の運命を左右する駒として、まるで操り人形のように利用されていることへの屈辱的な怒り。
それでも、失われた幸福を取り戻せるのならば、悪魔に魂を売ってでも手を伸ばしたいという、あまりにも人間的な、抗いがたい切なる願いが、彼の精神を蝕んでいきます。
「僕は、世界の平和とか知りません!」
彼の魂からの叫びは、壮大な理想論に対する、傷ついた一個人の悲痛な抵抗でした。
しかし、岡田派からの「神社に行かなければ妹がひどい目に遭う」という卑劣で陰湿な脅迫を受け、彼の葛藤はついに沸点を超えます。
精神的に追い詰められ、思考の袋小路に迷い込んだ梯子氏は、最後の望みを託すように、震える声で、妹に全ての事実を打ち明けます。
すると、妹は涙を浮かべながらも、彼の想像を遥かに超えた、強く、そして優しい真実の言葉を紡ぎました。
「ねじ曲げられた未来なんかいらない。今まで過ごしてきた日々は、本当に、本当に幸せだったよ」と。
妹の純粋な言葉は、彼のエゴと自己憐憫を打ち砕く、何よりも強力な光でした。
彼女が肯定してくれたのは、ありえたかもしれない幻想の未来ではなく、二人で必死に生きてきた、紛れもない「現実」の過去だったのです。
自分がいかに独りよがりな願いを抱いていたかに気づいた梯子氏は激しく後悔し、妹と共に、この不条理な運命に抵抗することを固く、固く決意します。
取り返しのつかない結末:断ち切られた世界線
しかし、運命の歯車は、一度狂い始めると、もう誰にも止めることはできませんでした。
最も残酷な形で、彼に牙を剥きます。
梯子氏が証拠品であるピアスとメモを、唯一信頼して鑑定のために預けていた知人が、実は岡田派と通じており、梯子氏が失敗した場合の「次の候補者」となっていたのです。
その知人もまた、「過去に起きた天災をなかったことにしたい」という、個人的な悲痛な願いを岡田派に利用されていたのでした。
その知人が女性に接触しようとしていることを知った梯子氏は、妹や、自分を守ろうとしてくれるドト子にまで危険が及ぶことを恐れ、全てを一人で背負い、阻止するという、あまりにも無謀で孤独な決断を下してしまいます。
約束の日、2009年1月2日。
凍てつくような冬の空気の中、心臓を打ち鳴らしながら神社に到着した梯子氏が、焦燥感に駆られながら必死でブーツの女性を探し、その姿を見つけたのは13時40分。
しかし、時すでに遅く。
彼女の前には、裏切った知人の姿がありました。
彼は女性にピアスを渡し、岡田派から指示されたであろう、運命を決定的に歪める言葉を告げます。
その瞬間、世界から音が消え、空気がガラスのように固まり、時間が完全に停止しました。
まるで、宇宙という名の映写機が、フィルムの再生を突然止めてしまったかのように。
梯子氏が次に気づいた時、彼は自宅アパートの前に一人で立っていました。
全てが終わり、自らの焦りと、仲間を信じきれなかった過ちが、取り返しのつかない選択につながってしまったことを悟った彼は、魂が抜け殻になったような深い絶望の中で、事の顛末と、これまで隠していた秘密を掲示板に書き込み始めます。
そして、彼は知ることになります。
岡田派の真の目的は、単に都合の良い偽りの世界を創り、そこで王として君臨することだけではなかったことを。
彼らの最終目的は、切り離され、不安定な「支流」から、彼らだけが知る停点理論を悪用して元の世界(本流)に干渉し、大規模なジェノサイド(計画的な破壊)を引き起こすことだったのです。
それは、自らが創り出した世界の存在を安定させるための、狂気に満ちた生贄の儀式でした。
梯子氏の、あまりにも人間的な弱さと愛が、結果として、人類を破滅に導く最悪の未来の引き金を引いてしまったのです。
中編のまとめ:絶望の果てに待つ、更なる世界の変容
自らの選択が、最悪の未来を引き起こしてしまった。
梯子氏は、計り知れない絶望と無力感に打ちひしがれます。
しかし、本当の恐怖は、まだ始まったばかりでした。
彼はまだ、ドト子が残した「未来ではなく、世界が変わる」という言葉の、真の意味を知らなかったのです。
彼の選択によって変えられたのは、未来の出来事だけではありませんでした。
彼自身の「過去」を含めた、存在の根幹そのものが、これから静かに、そして決定的に書き換えられていくことになるのです。
物語は、記憶改変という衝撃のパラレルシフト、そして全てのプレイヤーを超越した存在「ゆんゆん」の登場と共に、後編のクライマックスへと突き進みます。

物語の詳細な内容に興味をもったら、こちらのサイトの梯子物語の細部の内容を読んでみてください。

こちらの書籍には、第4章に『ヤコブの梯子』というタイトルで、梯子物語の全容が書かれています。
もし興味が湧いたら是非一読してみてください。