セスブック3『知られざる現実』補足編:セスが明かす「死」の真相 – 終わりではなく、壮大なる意識の旅の始まり

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 私たち人間が抱く最も根源的な恐れ、それはおそらく「死」ではないでしょうか。

 愛する人との永遠の別れ、自らの意識の消滅、そして未知なる無への恐怖…。

 その恐れは、私たちが信じてきた「人生は一度きり」「この身体が自分自身のすべてである」という物語に深く根差しています。

 しかし、もしその物語自体が、壮大な真実の一側面に過ぎないとしたら?

 セスブック『知られるざる現実』は、私たちが「死」と呼ぶ現象が、終わりや断絶ではなく、意識がより広大な領域へと移行するための、自然で創造的なプロセスであることを明らかにします。
 この補足記事では、前編・中編・後編の3記事で書けなかったセスの多次元的な視点を通して、死の瞬間から死後の世界、そして輪廻転生の真実を深掘りしていきます。

本記事のラジオ形式の音声版をご用意いたしました。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。

目次

死の瞬間、意識は何を体験するのか?

 セスによれば、死とは肉体という乗り物から意識が離脱するプロセスであり、それは苦痛に満たた終わりではなく、むしろ解放と拡大の始まりです。
 私たちが眠りから覚める時に、夢の世界が色褪せていくように、死の瞬間、物理的な現実はその支配力を失い、意識は本来の自由な状態へと帰還します。

 死のプロセスは、個人の信念体系に大きく影響されます。
 例えば、天国と地獄を固く信じている人は、その信念を反映した一時的な幻影を体験するかもしれません。
 しかし、その根底にあるプロセスは普遍的で、一般的に意識は肉体からスムーズに離れ、自分が死んだという事実に穏やかに気づきます。

 多くの場合、すでに亡くなっている親しい友人や親族が「ガイド」として現れ、愛に満たた雰囲気の中で移行を助けてくれると言います。
 そこには恐怖や孤独はなく、むしろ重い鎧を脱いだかのような深い安堵感と、自分が今まで知覚していたよりも遥かに大きな「自己」の一部であったことへの気づき、いわば「魂の帰郷」とも言える感覚が訪れます。

 この時、知覚は五感の制約から解放されます。
 思考は瞬時に伝わり、他者の感情を直接的に感じ、色は音として、音は形として認識されるような、共感覚的な体験が当たり前になります。
 あなたは、自分が単なる肉体的な存在ではなく、時空を超えて広がる、壮大で多次元的な意識であったことを思い出すのです。

 バシャールが死を「肉体という古い服を脱ぎ捨て、新しい服に着替える行為」と表現するように、セスもまた、死を意識がその焦点(フォーカス)を変える自然な移行として捉えています。

 死後、多くの意識が体験するのが「ライフ・レビュー(人生の再体験)」です。

 これは、天国と地獄といった二元論的な裁きの場ではありません。
 セスによれば、これは魂が自らの成長のために行う、極めて個人的で深遠な学びのプロセスであり、そのすべてが無条件の愛と許しのエネルギーの中で行われます。

 あなたは、自分が生きた人生のあらゆる瞬間を再体験します。
 しかし、それは単に自分の視点からだけではありません。
 あなたは、自分の行動が他者に与えた影響を、その相手の視点から、相手の感情と完全に一体化して体験するのです。

 あなたが何気なくかけた優しい一言が、相手の心をどれほど温かく照らしたか。
 逆に、あなたが放った無神経な言葉が、相手の心にどれほど深い傷を残したか。

 その喜びも、そして与えてしまった苦しみも、すべて自分自身の経験として、その感情の機微に至るまで完全に感じることになります。
 
 例えば、あなたが誰かに与えた小さな親切は、その相手が感じた感謝の温かさとして、あなた自身の魂を満たします。
 一方で、あなたが誰かを傷つけたなら、その相手が流した涙の味を、あなた自身が味わうことになるのです。
 これは罰ではなく、究極の共感と理解のレッスンです。
 この体験を通して、魂は自らの行動の真の意味と、すべての意識が分ちがたく結びついているという宇宙の真理を学びます。
 そして、深い愛と叡智を得て、次の経験への準備を整えるのです。
 このプロセスには一切のジャッジメント(審判)はなく、ただ、より大きな自己へと統合されるための、慈愛に満ちた理解だけが存在します。

死後の世界と「確率的な自己」との関係

 セスが明かす死後の世界の最もユニークな点は、それが「確率的な自己」の概念と深く結びついていることです。
 死は、一つの人生の物語の終わりであると同時に、あなたが選ばなかった無数の人生の物語と再会する、壮大な交差点でもあるのです。

 死後、あなたの意識は、この人生であなたが下したあらゆる選択によって分岐した、他の「確率的な自己」たちの存在を完全に認識できるようになります。
 あなたが選ばなかった職業に就いた自分、別のパートナーと結ばれた自分、異なる国で暮らした自分…そのすべての「もう一人のあなた」と、意識レベルで出会い、その経験を分ち合うのです。

 この「出会い」は、単に挨拶を交わすようなものではありません。
 それは、意識の統合のプロセスです。
 あなたは見捨てたと思っていた芸術の道を追求し、偉大な芸術家となった自己の情熱と達成感を、自分自身のものとして感じます。
 あなたが恐れから避けてしまった挑戦を乗り越え、力強く生きた自己の勇気と知恵を、自身の魂にダウンロードするのです。
 この経験の共有は、テレパシー的な情報の奔流であり、それぞれの人生で得られた知識、才能、愛、そして痛みのすべてが、より大きな「あなた」という存在の豊かさとして統合されていきます。

 これは、自分という存在が、いかに豊かで多岐にわたる可能性を持っていたかを理解する、感動的な体験です。
 地上での人生で抱いたかもしれない後悔、「もしあの時、違う道を選んでいたら…」という思いは、ここで完全に癒されます。
 なぜなら、あなたが選ばなかった道もまた、あなたの一部によって生きられ、その経験のすべてが、決して失われてはいなかったことを知るからです。
 あなたは、一つの人生で経験できることを遥かに超えた、広大な「自己」の全体像を、ここで初めて知ることになります。

 さらに驚くべきことに、死後の意識と、地上に残された私たちとの間には、今もなお交流が存在します。
 セッション693で語られた、ロバートの亡き母ステラが、彼の家探しに影響を与えようとしたエピソードは、その典型です。

「ステラ(ロバートの母)は、息子の反応をより良く理解できるようになっています。この現実における彼の決断を通して、彼女はついに、生前は理解できなかった彼の過去の行動の理由を垣間見始めているのです」 -セス

 故人は、私たちの人生を見守り、時にはその願いや意図を通して、私たちの現実に穏やかな影響を与えようとします。
 それは、夢の中に現れてアドバイスを与えたり、ふとしたインスピレーションをもたらしたり、あるいは必要な人や情報との「偶然の出会い」を演出したり、といった形で現れるかもしれません。
 この交流は、愛と感情的な繋がりという見えない糸によって成り立っています。

 しかし、この交流は一方通行ではありません。
 私たちが地上で下す決断、私たちが示す勇気、私たちが学ぶ許し、そのすべてが、死後の彼らにとっても新しい視点やデータとなり、彼ら自身の学びと成長を促すのです。

 例えば、あなたが地上で長年憎んでいた相手を許すことができたなら、その許しのエネルギーは次元を超えて伝わり、同じ相手との間に未解決の問題を抱えていた故人の魂にも、癒しと解放をもたらす可能性があります。

 生と死は、舞台と楽屋のようなものです。
 私たちは舞台の上で演じ、故人は楽屋から私たちを見守っていますが、互いの演技は影響を与え合い、一つの壮大な物語を共に創り上げているのです。
 この理解は、死別という体験から悲劇性を取り除き、それを、形を変えて続く愛の関係性として捉え直すことを可能にしてくれます。

輪廻転生という概念の再解釈

 セスの視点は、私たちが慣れ親しんだ「輪廻転生」の概念にも、根本的な変容を迫ります。

 中編で探求したように、セスによれば、時間は直線的に流れているのではなく、すべての時間は「同時」に存在します。
 この視点に立つと、輪廻転生は、一つの魂が過去から未来へと順番に人生を体験していく、数珠繋ぎのようなプロセスではなくなります。
 それは私たちの直線的な思考が生み出した、理解しやすいモデルに過ぎません。

 むしろ、あなたの「過去生」も「未来生」も、異なる時代という「場所」で、今この瞬間に同時に存在している「確率的な自己」なのです。
 あなたの魂は、広大な「永遠の今」という家に住んでおり、それぞれの人生は、その家にある別々の部屋のようなものです。
 あなたは、古代エジプトの神官として生きる部屋、中世ヨーロッパの農民として生きる部屋、未来の宇宙探検家として生きる部屋を「同時」に持っている、多次元的な存在なのです。

 これらのすべての人生(部屋)は、壁で完全に仕切られているわけではありません。
 壁を通して音が響き合うように、それぞれの人生は互いに無意識のレベルで影響を与え合い、学びを共有しています。
 例えば、あなたが今世で理由なく惹かれる特定の文化や才能は、別の部屋でその才能を磨いている自己からの「響き」かもしれません。
 逆に、あなたが今この瞬間に示す勇気や愛は、別の時代で困難に直面している自己への、力強いエールとなっている可能性もあるのです。
この視点は、「過去生ヒーリング」といった概念に新しい光を当てます。

 過去を癒すとは、終わった物語を修正するのではなく、「今」困難な状況にある別の自己に、現在のあなたが愛と癒しのエネルギーを送ることなのかもしれません。
 これらのすべての人生が共鳴し合うことで、「全体としてのあなた」という壮大な魂のタペストリーが織りなされているのです。

 この多次元的な視点は、「カルマ」の概念も、罰や負債といった重苦しいイメージから、創造的でダイナミックなものへと書き換えます。
 カルマとは、過去生の罪を次の人生で償うという、単純な因果応報の法則ではありません。

 セスによれば、カルマとは、**あなたの魂全体が、成長と価値の達成のために探求することを選んだ、壮大な「テーマ」**のようなものです。
 魂は、まるで偉大な芸術家が特定の主題を様々な角度から描くように、一つのテーマを深く理解するために、多様な人生を「同時」に創造します。

 例えば、「力(パワー)」というテーマを選んだ魂がいるとしましょう。

  • ある人生では、権力を濫用する暴君として、「力」の傲慢さと孤独を学びます。
  • 別の人生では、その暴君に虐げられる奴隷として、「力」を奪われた者の無力感と尊厳を探求します。
  • また別の人生では、人々を賢明に導く指導者として、「力」を愛と共に用いることの喜びと責任を体験します。
  • さらに別の人生では、その全てを記録する歴史家として、客観的な視点から「力」の本質を考察するかもしれません。

 これらの人生はすべて、一つの魂が「力」というテーマを360度の視点から完全に理解するために必要な、不可欠なピースなのです。
 そこにあるのは罰や罪悪感ではなく、ただ魂の成長への、純粋で力強い『内なる創造的な衝動』だけです。
 この理解は、私たちをカルマの負債感から解放し、現在の人生で直面する困難が、自らが選んだ壮大な学びのテーマの一部であるという、力強い視点を与えてくれます。

まとめ – 生と死の境界線を超えて

 セスが描く死後の世界は、恐れるべき無でも、裁きの場でもありません。
 それは、私たちが想像する以上にダイナミックで、創造性に満ち、愛と学びに溢れた、意識の壮大な冒険の舞台です。
 死が終わりや断絶ではないことを理解した時、私たちの「生」は、より一層輝きを増します。

  • 失敗への恐れが和らぐ:
     この人生は、無数の経験の一つであり、魂の学びの場であると知る時、私たちは失敗を恐れず、より大胆に挑戦できるようになります。
  • 人間関係が豊かになる:
     すべての出会いが、魂の成長のための深い意味を持っていると知る時、私たちは他者との関係をより慈しみ、大切にすることができます。
  • 「今、この瞬間」が輝きだす:
     死への恐怖から解放される時、私たちは未来への不安や過去への後悔から自由になり、「今、この瞬間」を最大限に生きることの尊さに目覚めるのです。

死とは、人生の対極にあるものではありません。それは、生というコインの裏側であり、両方があって初めて、私たちは「存在する」という奇跡の全体像を理解することができるのです。

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