セスブック1「セスは語る」の要約と解説(中編):魂の永遠性と「死後の世界」の驚くべき仕組み

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 前回の記事では、セスが示す宇宙の基本法則――私たちの思考や信念が、目の前の現実を創造しているという、革命的な真実を探求しました。
 そして、私たちの本質が肉体に閉じ込められた存在ではなく、時間と空間を超えた「多次元的な魂」なのです。

 この理解は、私たちに人生の創造主としての力を与えてくれます。
 しかし同時に、それは私たちを、ある一つの根源的な問いへと導きます。

 もし私たちの本質が肉体ではないのなら、その肉体が活動を終える時、すなわち「死」が訪れる時、私たちは一体どうなるのでしょうか?

 古来より人類は、死を「終わり」や「別れ」、「未知なる恐怖」として捉え、様々な宗教や哲学がその意味を問い続けてきました。
 しかしセスが語る「死」の様相は、それらとは全く異なります。
 それは、悲劇でもなければ、裁きの時でもありません。

 セスによれば、死とは単に意識の焦点を、物理的な現実から別の現実へと移行させる、自然で創造的なプロセスにすぎないのです。
 それは、古い服を脱ぎ捨てて新しい服に着替えるようなもの――バシャールが好んで使うこの比喩のように、死は終わりではなく、魂の連続した旅における一つの「場面転換」に他なりません。

 この記事では、セスが詳細に明かす「死後の世界」の驚くべき仕組みと、魂の永遠の旅について、探っていきます。

本記事のラジオ形式の音声版をご用意いたしました。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。

目次

セスが語る「死」の体験―『神へ帰る』の視点と共に

死後のプロセス 体外離脱

 前編で私たちは、自らが人生の創造主であることを学びました。
 その理解は、必然的に私たちを次の深遠な問いへと導きます。

「肉体という器を脱ぎ去る時、私たちの意識はどうなるのか?」

 この人類最大の謎に対し、セスは、罰や恐怖、そして終焉といった文化的な刷り込みを根底から覆す、壮大で美しいビジョンを提示します。

 そして驚くべきことに、そのビジョンは、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書『神へ帰る』で語られる、「神とともにあるわが家への帰還」という、愛に満ちた概念と寸分違わず響き合います。
 死は、喪失の悲劇ではなく、魂が本来の故郷へと凱旋する、祝福すべきプロセスなのです。

『神へ帰る』では、死のプロセスを三つのステップで説明しています。
 この愛に満ちた枠組みを用いると、セスが語る形而上学的な死の体験が、私たちの心に寄り添う、よりパーソナルな物語として立ち現れてきます。

  1. 第一のステップ:降参と受容(Letting Go)
     これは、セスが語る、意識が肉体の生存本能から自らを解放する段階です。
     死への恐怖は、魂の恐怖ではなく、肉体が自己を保存しようとする生物学的プログラムに過ぎません。
     そのプログラムから手を放し、大いなる生命の流れに自らを明け渡す、完全な「降参」の時です。
     セスによれば、この受容の瞬間に、魂は肉体という重いコートを脱ぎ捨てるような、言葉に尽くしがたい解放感と自由を体験します。
  2. 第二のステップ:幻想を体験する(Experiencing the Illusion)
     これが、セスの教えの核心「信念が現実を創る」法則が、物理的制約のない純粋な形で現れる段階です。
     『神へ帰る』もまた、死後すぐに体験するのは「自分が真実だと思っていること」だと断言します。
     この時、意識はセスが言うところの「フレームワーク2」、すなわち非常に反応性の高い精神的な環境へと移行します。
     そこでは、思考はほぼ瞬時に形をなします。

    【内省のヒント】
     もし明日、あなたが自分の最も深い信念だけで創られた世界で目覚めるとしたら、それはどのような場所になるでしょうか?
     あなたが「世界とはこういうものだ」「私とはこういう人間だ」と固く信じていることは何ですか?
     その信念は、あなたを自由にするものですか、それとも縛るものですか?
  3. 第三のステップ:真実を知る(Knowing the Truth)
     幻想の体験を通じ、自らの創造力を再認識した後、魂は「真実」、すなわち自らが永遠の存在であり、神(すべてなるもの)の愛そのものであることを思い出します。
     この段階で、セスが語る「ライフレビュー(人生の回顧)」が行われます。
     これは、罪を裁くための裁判ではなく、『神へ帰る』の言葉を借りれば、「自己を再創造する機会」です。
     自らの人生を、関わった全ての人々の視点から、その感情の機微に至るまで再体験します。
     このプロセスを通じて、魂はジャッジメントではなく、深い共感と理解、そして自己への完全な許しを学ぶのです。

「固着」状態からの解放と、ガイドたちの役割

 魂によっては、生前の強い信念体系に「固着」し、自ら創り出した世界から動けなくなることがあります。

 しかし、そのような魂も決して見捨てられるわけではありません。

 より進化した「教師」的な存在たちが、これらの魂に対して、根気強く、そして愛情深く接触を試みます。
 彼らは、その魂の自由意志を最大限に尊重し、自らが幻想の中にいることに「自ら気づく」手助けをするのです。
 それは強制的な救出ではなく、魂の準備が整うのを辛抱強く待つ、思いやりに満ちたガイダンスです。
 この点も、アシュタールが「死は自分で決めるもの」と語るように、宇宙が魂の自己決定権を絶対的に尊重するという原則と一致します。

輪廻転生の壮大なドラマ:魂の選択と成長

 死後の世界で自らの真実を思い出し、癒やしを終えた魂は、多くの場合、再び物理次元に生まれること、すなわち「輪廻転生」を選択します。

 これは義務ではなく、魂自身の自由な意思による、壮大な学びと創造の選択です。

 セスによれば、魂が輪廻転生を選ぶ主な目的は、「価値の成就(Value Fulfillment)」という、内なる根源的な衝動のためです。
 そしてこの目的は、『神へ帰る』が語る、死が「アイデンティティの再確立」の機会であるという概念と繋がります。

全体我(エンティティ)の壮大なアートプロジェクト

 私たちが「自分」だと思っている人格は、セスによれば「全体我(エンティティ)」と呼ばれる、より巨大な意識体の一つの側面にすぎません。
 エンティティを偉大な芸術家だと想像してみてください。
 その芸術家は、自らの表現の可能性を無限に探求するため、様々な画風やテーマで、無数の作品を描きます。ある作品は光と喜びに満ち、ある作品は影と苦悩に満ちているかもしれません。
 しかし、芸術家にとって、その全てがかけがえのない自己表現であり、ポートフォリオを豊かにする貴重な作品です。
 私たちの一つ一つの人生は、まさにエンティティが描く、そのユニークな「作品」なのです。

 セスは、私たちが生まれる前に、ある程度の「人生の青写真」を自ら計画していると述べます。
 これには、生まれる時代や国、両親、そして人生で出会う重要な人々との関係性も含まれます。

挑戦や困難をあえて選ぶ理由

 では、なぜ魂は、病気や貧困、困難な人間関係といった「ネガティブ」に見える体験をあえて選ぶのでしょうか?

 それは、魂が安楽よりも「成長」を求めるからです。
 そして、魂は自らが乗り越えられない挑戦は決して選ばないことを知っています。

【内省のヒント】
 あなたの人生で、繰り返し現れるテーマやパターン(例えば、人間関係の悩み、経済的な課題など)は何ですか?

 もし、それがあなたの魂が今世でマスターしようと自ら選んだ「専門分野」だとしたら、そのテーマはあなたに何を学ばせ、どのような強さを引き出そうとしているでしょうか?

神とは何か?-すべての教えが指し示す一つの根源

 輪廻転生という壮大なサイクルを理解すると、私たちは必然的に「では、そのすべてを司る『神』とは何なのか?」という問いに行き着きます。

 驚くべきことに、セス、バシャール、アシュタール、そして『神へ帰る』の神が語る「根源」の姿は、細かな表現の違いこそあれ、その本質において見事に一致しています。

 『神へ帰る』の神は、自らを「判断のない、無条件の愛」そのものであると語ります。
 これは、他の存在たちが語る宇宙の根源の姿と完璧に重なります。

  • セスが語る「すべてなるもの(All That Is)」は、善悪の判断を超え、無限の創造性と愛から成る、すべての意識の源泉です。
  • アシュタールが語る「絶対無限の存在」は、罰することも裁くこともなく、ただ「在る」という意識であり、私たちすべてはその一部です。
  • バシャールが語る「オール・ザット・イズ」もまた、すべてであり、決定や判断、罰することのない無条件の存在です。

 彼らが語るのは、宇宙の根源は、私たちが恐れるべき裁きの神ではなく、私たちを無条件に愛し、その一部として存在させてくれている、大いなる故郷そのものであるという真実です。

神は「探求者」であり、私たちはその最前線にいる

 セスの神概念の最もラディカルな点は、「『すべてなるもの』は、全知ではない」という部分です。

 神は、私たちを含む無数の意識の自由意志による体験を通して、今この瞬間も、自らを「知り続けている」のです。

 私たちの選択の一つ一つが、神の体験に新しい色を加え、その存在を豊かにしています。
 
 『神へ帰る』の言葉を借りれば、私たちは「神が神自身を体験するための道具」であり、その意味で、私たちは神聖な共同創造主として、宇宙の最前線で神の自己発見の旅を担っているのです。

では、私たちはどう生きるべきか?

 これらの深遠な知識は、机上の空論ではありません。
 それは、私たちの生き方そのものを変容させる、実践的な知恵です。
 すべての教えを統合すると、私たちに5つの生き方の指針が示されます。

  1. 恐れずに生きる:
     私たちの本質である意識は永遠であり、死は卒業式のように、次のステージへと進むための喜ばしい門出です。
     この理解は、私たちを最大の恐怖から解放し、人生のあらゆる挑戦に大胆に臨む勇気を与えてくれます。
  2. 慈愛をもって生きる:
     私たちは皆、同じ根源から生まれた一つの家族です。
     目の前の人が演じている「役柄」の奥にある、同じ神聖な「魂」を見るように努めましょう。
     このワンネスの視点に立てば、ジャッジメントは自然と慈愛へと変わります。
  3. 責任をもって創造的に生きる:
     私たちの思考、信念、視点が私たちの世界を創る、という宇宙で最もパワフルな法則を自覚しましょう。
     自分の内なる世界に責任を持つことこそが、望む人生を創造する唯一の方法です。
  4. 信頼して生きる:
     人生で起こることには、たとえ乱気流のように感じられる出来事であっても、あなたの魂という熟練のパイロットが設定した、深い学びと成長の目的があります。
     宇宙と、そして自分自身の魂の計画を信頼することが、私たちに平安をもたらします。
  5. 愛を表現して生きる:
     私たちの本質が「神の一部」であり、その神が「無条件の愛」であるならば、私たちの究極の目的であり、最大の喜びは、この物理次元で、その愛を自分らしいユニークな形で表現し、体験することに他なりません。

 私たちの存在は、たかだか100年足らずで終わる儚いものではなく、永遠に続く魂の旅の一コマなのです。
 その旅には、失敗も罰もなく、ただ無限の学びと成長、そして愛があるだけです。


 さて、私たちはこの人生における創造の力を知り、死を超えた魂の永遠性をも理解しました。
 しかし、セスの宇宙論には、さらに私たちの常識を揺さぶる概念が存在します。
 私たちが選ばなかった「もう一つの人生」はどこにあるのでしょうか?
 善と悪の本当の意味とは?

 後編では、『セスブック1「セスは語る」の要約と解説(後編):未来は一つではない!「確率的世界」と多次元的自己への覚醒』と題し、並行宇宙、確率、そして意識の進化という、セス哲学の最も深遠な領域へと足を踏み入れていきます。

ブログを読んで、セスに関してさらに見識を深めたいと思ったら、ぜひ本書を手に取ってみてください。

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