「私は死んだらどうなるのだろう?」
「愛する人とは、もう二度と会えないのだろうか?」
「天国や地獄は本当にあるのだろうか?」
古今東西、私たち人類は「死」という未知なるものに対し、根源的な問いと、漠然とした不安や恐れを抱き続けてきました。
科学が進歩した現代においても、死後の世界は依然として大きな謎に包まれています。
そんな私たちにとって、従来の死生観を揺るがし、まったく新しい視点を与えてくれる一冊があります。
それが、世界中でベストセラーとなった「神との対話」シリーズの著者、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏による『神へ帰る – 神とともにあるわが家へ』です。
本書は、10年以上にわたる著者と「神」との対話の集大成であり、「死と死の過程、そして死後の生命」という、誰もが避けては通れないテーマを深く、そして愛に満ちた視点で掘り下げています。
このブログ記事では、『神へ帰る』で語られる深遠な内容を、前後編に分けてご紹介していきます。
ブログと一緒に聞いてもらえると理解が深まると思います。
死は終わりではない:神が示す新しい死生観

多くの文化や宗教において、「死」はしばしば終焉や喪失として語られます。
しかし、『神へ帰る』の中で「神」は、私たちが抱く死への固定観念を覆す、驚くべき視点を提示します。
神なしに生きて死ぬことは不可能
本書の冒頭で、神は力強く語りかけます。
神なしに生きることも死ぬことも不可能だが、神なしに生きて死ぬと思うことは可能だ。
自分は神なしに生きて死ぬと思えば、そのとおりの体験をするだろう。
自分が望んでいるあいだはその体験をするだろう。そして自分が選べばいつでも、その体験を終わらせることができるだろう。
『神へ帰る』より
私たちは常に神(あるいは生命、宇宙、ひとつであるもの)と共にある存在であり、死によってその繋がりが断ち切られることはない、と神は言います。
私たちが「神から見捨てられた」と感じるのは、そう思い込んでいるだけであり、その思い込みこそが孤独や恐れを生むのです。
この真実を受け入れることが、死への恐れを手放すための第一歩となります。
死は自らが起こす創造行為?
さらに神は、より衝撃的な概念を提示します。
誰でもすべてを自分自身のためにしている。
そこに気づけば、突破口が開ける。
死についてもこの真実があてはまることが理解できれば、二度と死を恐ろしいとは思わないだろう。
『神へ帰る』より
そして、こうも付け加えます。
あなたの死を引き起こすのは、あなた自身だ。
いつ、どこで、どんなふうに死ぬのであっても、これが真実だ。
『神へ帰る』より
これは、死が単なる受動的な出来事ではなく、魂レベルでの選択に基づいた、ある種の創造行為であるという視点です。
事故や病気による死でさえ、魂のより大きな計画の一部であり、自らが(意識的あるいは無意識的に)引き起こしているのだと本書は示唆します。
この考えを受け入れるのは難しいかもしれませんが、「死」を主体的なものとして捉え直すことで、無力感や恐れから解放される可能性があります。

意志に反する死はない
私たちが「望まない死」に見舞われることがあるのはなぜでしょうか? 神は、私たちの意志に反することは何も起こらない、それは不可能だと断言します。
なにごとも、あなたの意志に反して起こることはない。それは不可能だ。『神へ帰る』より
一見、理不尽に思える出来事や悲劇的な死も、魂のより深いレベルでの同意や計画に基づいている可能性があるのです。
私たちが「犠牲者」だと感じてしまうのは、視野が限られているからであり、より大きな視点(魂の視点)から見れば、すべての経験には意味があり、完璧な計画の一部である、と本書は語ります。
もちろん、これは苦しみの渦中にある人に直接投げかけるべき言葉ではありませんが、時間をかけて理解していくことで、深い癒しと受容をもたらす考え方です。
「わが家」への道:真実と魂のナビゲーション

では、私たちはどのようにして死後の世界や生命の真実を知ることができるのでしょうか?
『神へ帰る』は、その答えは私たち自身の内側にあると示唆します。
あなたの内なる真実
神は、外部の権威や教えに真実を求めるのではなく、自分自身の心の声に耳を澄ませることの重要性を強調します。
あなたのなかにある真実以外に真実はない。
そのほかはすべて誰かがあなたに言っていることだ。
『神へ帰る』より
本書を含むあらゆる外部からの情報は、あくまで私たちが元々持っている内なる智恵を「思い出す」ためのきっかけや道標に過ぎません。
真実に到達できるのは、他の誰でもない、あなた自身なのです。
人生は「思い出す」プロセス
そもそも、私たちは何か新しいことを学ぶために生まれてきたのではなく、魂に元々刻まれている智恵を「思い出す」ために人生を経験しているのだ、と神は語ります。
あなたがたが学ぶべきことは何もない。
ただ、思い出す必要があるだけだ。
『神へ帰る』より
その智恵は、私たちの存在の根幹、いわばDNA(Divine Natural Awareness = 聖なる自然な気づき)に組み込まれています。
だからこそ、深い真実に触れたとき、私たちは「ああ、そうだった」「知っていた」という感覚を覚えるのです。
人生とは、この内なる智恵を経験を通して再確認し、感じていくプロセスなのです。

どの道も「わが家」へ通じる
人生には無数の選択肢があり、私たちはしばしば「正しい道」を選ばなければならないと考えがちです。
しかし、神はどの道を選んでも、最終的には「神とともにあるわが家」に帰り着くと断言します。
「わが家」へ帰る道のなかで、ほかの道よりとくに良い道はない。
『神へ帰る』より
すべての道、すべての経験は、私たちを目的地へと導いています。
宗教やスピリチュアルな教えも、そのための助けとなる道標であり、絶対的な優劣はありません。
重要なのは、どの道を選ぶかではなく、その道をどのように歩むか、そしてその経験から何を思い出すかです。
ただし、神はこうも付け加えます。
道には、険しい道とあまり険しくない道がある。
『神へ帰る』より
より安らかに「わが家」へ向かう道を選ぶことは可能なようです。
死後の安らぎと「人生の見直し」
死んだ後、私たちは本当に安らぎを得られるのでしょうか?
そして、生前の行いが問われる「審判」のようなものはあるのでしょうか?
すべての魂は死後に安らぎを見いだす

神は、死後の苦しみや罰といった概念を明確に否定します。
すべての魂は死後に安らぎを見いだす。
ただし、すべての魂が、死の前に安らぎを見いだすとは限らない。
『神へ帰る』より
たとえ人生の終わりに後悔や恐れを抱えていたとしても、死を超えた先には、すべての魂に安らぎが待っているという希望に満ちたメッセージです。
問題は、死を迎える「前」に、いかにして心の安らぎを得て「険しくない道」を歩むか、ということになります。
死は贈り物:視点を変える
「険しくない道」を歩む鍵は、物事の捉え方、つまり「視点」にあるようです。
どういう見方をするかで、何が見えるかが決まる。
視点が認識を創る。
『神へ帰る』より
人生で起こる出来事、たとえそれが「死」であっても、それを悲劇として捉えるか、魂の成長のための「贈り物」として捉えるかで、私たちの経験は大きく変わります。
『神へ帰る』は、困難な状況の中にも完璧さや恩恵を見出す視点を持つことの大切さを教えてくれます。
それは、故エリザベス・キューブラー=ロス博士が「嵐が刻む見事な渓谷美」に例えたように、困難が魂を磨き、成長させる機会となり得るからです。
3つの意識レベル(潜在意識・意識・超意識)

では、なぜ私たちは望まないような現実を経験してしまうのでしょうか?
神はその理由を、私たちの創造が行われる「3つの意識レベル」で説明します 。
- 潜在意識レベル:
呼吸やまばたきのように、ほとんど無自覚に自動的に行われる創造。 - 意識レベル:
自分が何をしているか、ある程度認識して現実を創造しているレベル。
私たちが通常「自分」と認識している思考や行動。 - 超意識レベル:
魂のレベル。より大きな視点から、人生の課題や目的を理解し、経験を創造しているレベル。
通常、私たちはこのレベルの意図に気づいていないことが多い。
私たちが「望まない」と感じる出来事も、実は超意識レベル(魂)では、成長や学びのために自ら選択している可能性があるのです。
例えば、若くして亡くなったピップ や、植物状態となった者のようなケースも、彼女たちの魂がより大きな目的のためにその経験を選んだのかもしれない、と本書は示唆します。
この理解は、私たちが人生の出来事を「被害者」としてではなく、「創造者」として受け止める助けとなります。
まとめ:魂の旅への序章
『神へ帰る』の前編として、私たちは死に対する全く新しい視点に触れてきました。
- 死は終わりではなく、神との繋がりが途切れることはない。
- 死は、魂レベルでの選択に基づく創造行為である可能性がある。
- 真実は自らの内にあり、人生はそれを経験を通して「思い出す」プロセスである。
- 死後、すべての魂は安らぎを見いだし、苦しみはない。
- 人生の出来事は視点によって変わり、私たちは3つの意識レベルで自らの現実を創造している。
これらの考え方は、私たちが抱く死への恐れを和らげ、今この瞬間をより豊かに、そして主体的に生きるための大きなヒントを与えてくれます。
しかし、これはまだ魂の壮大な旅の序章に過ぎません。
後編では、いよいよ死後の具体的なプロセス、「死の三段階」や「エッセンスとの合体」、そして宇宙の仕組みや多次元性、魂が輪廻転生を繰り返す理由、そして最も重要な問いかけである「聖なる審問」といった、『神へ帰る』の核心部分へと迫っていきます。
死を超えた先にある「究極の現実」とは一体どのようなものなのでしょうか?
