当サイトでは、これまで『セスブック1 セスは語る』から始まるSESSION 505~の後期セッションを中心に、その深遠な哲学を紐解いてきました。
セスが主張する「意識の多次元性」や「思考による現実創造」といった概念に、多くの読者様が触れてこられたことと思います。
しかし、その壮大な教えには「原点」がありました。
すべての始まりは、どこにでもいる一組の夫婦が始めた、ささやかな試みだったのです。
この新シリーズ『セスブック 初期セッション』では、時間を遡り、セス・マテリアルのまさに「創世記」とも言える最初の対話の記録を辿ります。
高次元存在「セス」が初めて私たちに語りかけた、荒削りながらも根源的なエネルギーに満ちた言葉の数々。
そして、セスが登場する前に現れた謎の存在「フランク・ワッツ」とは何者だったのか。
後期の洗練された哲学が、どのようにして芽生え、育っていったのか。
その驚きと発見に満ちた道のりを、一緒に旅してみましょう。

本ブログの内容をラジオ形式の音声化したものです。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。
ウィジャ盤が繋いだ未知の存在「フランク・ワッツ」Session 1 ~ 3
すべての始まりは、作家であるジェーン・ロバーツと、その夫で画家のロバート・バッツが、1963年の秋に借り物のウィジャ盤に触れたことでした。
当初は娯楽半分で、友人たちと試しても意味のある結果は得られませんでした。
しかし、夫婦二人だけで試みを続けるうち、11月の終わり頃から意味のある単語やフレーズが現れ始めます。
そして12月2日のセッションで、ついに彼らは明確な意志を持つ存在との対話を果たすのです。
その存在は自らを「フランク・ワッツ」と名乗りました。
ウィジャ盤のポインターが綴る言葉によれば、彼は1942年に74歳で亡くなった元教師であり、生前はイギリス国籍だったと語ります。
こうして、現代スピリチュアル思想に絶大な影響を与えた対話は、謎めいた人格「フランク・ワッツ」との邂逅から静かに幕を開けたのです。

フランク・ワッツが語る世界観と「セス」への移行 Session 4
フランク・ワッツとの対話は、ジェーンとロブにとって未知の世界への扉を開くものでした。
彼はウィジャ盤を通じて、私たちの常識を覆すような概念を少しずつ、しかし着実に伝えていきます。
死後の世界と輪廻転生
フランク・ワッツは、自身がいる世界を「第四次元」や「第五次元」といった言葉で表現しようと試みます。
これは私たちが考えるような物理的な場所ではなく、意識の状態や存在のあり方が異なる領域を指しているようです。
そこは私たちの直線的な時間感覚とは異なり、「視点が違う(Perspective is off for us)」ために物事の捉え方が根本的に異なる世界だと語ります。
つまり、過去から未来へと一方向に流れるという私たちの時間概念そのものが、その次元では通用しないのです。
この新しい視点から、彼は人間存在の核心に触れる概念を提示します。
さらに彼は、人間は一度きりの人生を終えて消滅するのではなく、何度も地上に生まれ変わる「輪廻転生」という仕組みがあることを明確に肯定します。
これは罰や宿命ではなく、魂が成長と学びのために、あらゆる側面から人間というものを体験するための壮大なカリキュラムなのです。
彼自身も、過去にはトルコの兵士やデンマークの商人など、様々な人生を経験してきたと述べました。
兵士として生きること、商人として生きること、それぞれの人生で全く異なる価値観や感情を学びます。
この考えは、魂が成長と学びのために多様な経験を積み重ねるという、後のセス哲学の基礎となります。

過去生での繋がりという絆
驚くべきことに、フランク・ワッツはジェーンとロブ、そして彼自身の三者が、過去生において何度も深い関わりを持ってきたと語ります。
魂はしばしば「グループ」で転生し、互いに役割を変えながら学び合うことがあると言われています。
彼らの繋がりは、まさにその一例でした。
例えば、3世紀前のデンマークでは、フランク・ワッツが「スパイスを扱う商人」、ロブが「農場を持つ地主」、そしてジェーンは「ロブの息子」という関係であった、という具体的な情報も明かされました。
親子、友人、商売相手など、立場や関係性を変えながらも、同じ魂たちが何度も出会い、互いの成長を促し合っているのです。
これは、私たちの魂の繋がりが、一つの人生という枠組みを遥かに超えた、壮大で多層的なタペストリーのように織りなされていることを示唆しており、偶然に見える出会いにも深い意味が隠されていることを教えてくれます。
初めて会ったはずなのに懐かしさを感じたり、逆に理由なく反発を覚えたりするのは、こうした過去生での深いつながりの記憶が魂のレベルで共鳴しているからなのかもしれません。
「セス」の登場:「エネルギー人格エッセンス」としての自己紹介
対話が進むにつれて、フランク・ワッツは自身について、さらに驚くべき事実を明かします。
それは単なる自己紹介の修正ではなく、コミュニケーションの次元そのものが大きくシフトする、セッションの決定的な転換点でした。
彼は、自分が独立した一個の存在というよりも、より大きな「全体性」のごく一部であると語り始めたのです。
一人の故人の霊という限定的な人格から、より広大で普遍的な意識の存在を示唆し始めた瞬間でした。
そしてセッション4で、その「全体性」は自らを**「セス」**と名乗り始めます。
セスは自身を「エネルギー人格エッセンス(energy personality essence)」と表現し、フランク・ワッツという人格は、セスが地上とコンタクトするために用いた、いわば一つの側面に過ぎないことを示唆します。
この「エネルギー人格エッセンス」という言葉は重要です。
これは、セスが単一の肉体や生涯に縛られない、流動的で多次元的な意識の集合体であることを意味しています。
彼(セスは男性格を好みます)は、特定の時代に生きた霊魂ではなく、意識エネルギーそのものが人格を持った存在なのです。
これは、高次元の意識が私たちの次元で認識可能な形をとるための一つの試みだったのです。
おそらく、ジェーンとロブを混乱させないよう、まずは「フランク・ワッツ」という親しみやすく理解しやすい人格を介して、徐々により大きな概念へと導いていったのでしょう。
さらにセスは、ジェーンとロブにも、この物質世界で使っている名前とは別に、彼らの「全体性としての自己(Whole Self)」を表す名前があることを伝えます。
それは、彼らがこの人生で演じている役割を超えた、魂の真の名です。
それがジェーンの**「ルバート(Ruburt)」であり、ロブの「ジョセフ(Joseph)」**でした。
これらの名前は、単なるニックネームではありません。
それは彼らの魂の本質、つまりエンティティ(大いなる自己)としてのアイデンティティであり、今回の人生で目指すべき理想像、そしてすべての過去生と未来生の経験を統合した存在としての呼び名なのです。
セスがこれらの名前を伝えたのは、彼らに「あなた方は、今あなたがそうだと思っている自分以上の、もっと偉大で多次元的な存在なのだ」ということを教えるためでした。
この瞬間から、ジェーンとロブは単なる情報の受け手ではなく、自らの大いなる自己を探求する旅の当事者となったのです。
初期セッションで提示された根源的な概念 Session 5 ~ 14
フランク・ワッツからセスへと対話の相手が移行する中で、後のセス・マテリアルで繰り返し語られることになる、根源的で重要な概念が少しずつ提示され始めます。
これらは、私たちが自分自身と世界を全く新しい視点から見るための、重要な鍵となるものです。
魂のブループリント:自らが描く人生の設計図

セスは、私たち一人ひとりが「魂の青写真(ブループリント)」を持っていると語ります。
これは人生の設計図のようなものであり、運命のように他人から強制されるものではなく、それぞれの魂が転生前に自らで作成したものです。
このブループリントには、今回の人生で経験したい主要なテーマ、学びたい課題、そして発展させたい能力などが大まかに描かれています。
例えば、「許しを学ぶ」というテーマを選んだ魂は、人間関係の中で裏切りや誤解といった出来事を経験しやすいかもしれません。
しかし、それは罰ではなく、魂が自ら設定した学びの機会なのです。
私たちは毎回の人生で、このブループリントに沿って、学びたいテーマや達成したい課題に挑戦しようと試みるのだとセスは言います。
重要なのは、このブループリントの範囲内で、私たちは完全に自由な意志を持っているということです。
どのような状況に直面しても、それをどう解釈し、どう反応するかは完全に私たちの自由です。
設計図はあくまで舞台設定であり、その舞台でどのような劇を演じるかは、私たち一人ひとりの選択に委ねられているのです。
人格の断片(フラグメント):私たちは多次元的な存在

一つの魂(セスはこれをエンティティと呼びます)が、同時に複数の人格(断片)として、様々な時代や場所で人生を経験している、という非常に高度で革命的な概念が示されます。
エンティティとは、私たちの「大いなる自己」であり、その本質は純粋な意識エネルギーです。
そのエンティティが、様々な側面から経験を積むために、自らの一部を「断片」として物質世界に送り出します。
それが私たち一人ひとりの人格なのです。
この考え方によれば、この世界の人間だけでなく、動物や植物、さらには私たちの「思考」さえも、より大きな実相からの「断片」であり、それぞれが独立した意識を持っているとセスは語ります。
つまり、道端の石ころ一つにも、独自の意識と存在理由があるということです。
この視点に立つと、私たちは孤立した存在ではなく、万物と繋がる広大な意識ネットワークの一部なのだということが理解できます。
個々の細胞が全体として人体を形成しているように、私たち一人ひとりの経験は、エンティティという「全体」にフィードバックされ、その成長に貢献しているのです。
観念が現実を創る:思考は現実化する
当時、ジェーンは「世界は観念の構築物である」というテーマで本を執筆していました。
セスはこの考えを明確に肯定し、「物理的世界は観念の構築物であり、すべての廊下(次元)も同様である」と述べます。
これは、私たちの思考、信念、感情といった内なる「観念」が、私たちが体験する物理的な現実を文字通り形作っているという、セス哲学の根幹をなす教えの始まりでした。
私たちの内なる世界は、単に現実を解釈するフィルターなのではなく、現実そのものを生み出す鋳型なのです。
例えば、心の奥底で「自分は価値がない」と信じている人は、その信念を証明するような出来事(失敗、批判、拒絶など)を無意識に引き寄せ、自らの現実として体験します。
逆に、「世界は豊かで協力的だ」と信じている人は、チャンスや助け、シンクロニシティといった形で、その信念を反映した現実を創造していくでしょう。
この法則を理解することは、私たちに大きな責任と、同時に無限の可能性を与えてくれます。
私たちの内面が、外面の世界を創造する力を持っているのです。
まとめ:深遠なるセス哲学の入り口へ
ウィジャ盤という偶然の入り口から始まった高次元との対話は、「フランク・ワッツ」という親しみやすい案内役を経て、やがて「エネルギー人格エッセンス」である偉大な教師「セス」へと繋がりました。
前編では、私たちが「全体性としての自己(ジョセフ、ルバート)」を持つ多次元的な存在であること、そして自ら描いた「魂のブループリント」を手に、この世界を経験していることが明かされました。
さらに、私たちの思考や信念という「観念」が、まさにこの物理的世界を創造しているという、セス哲学の根幹をなす力強いメッセージが提示されました。
しかし、これらはセスがこれから解き明かしていく壮大な宇宙観の、ほんの序章に過ぎません。
中編では、いよいよセスの教えが本格化します。
私たちが「現実」だと思っているこの世界の本当の姿とは?
そして、その現実を認識するための、五感を超えた「内なる感覚」とは一体何なのか?
セス哲学の核心に、さらに深く迫っていきます。

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