前編では、私たちの内なる思考や感情が、いかにして個人の健康や社会的な流行病といった物理的な現実を創造しているかを探求しました。
絶望という「サイキックな伝染病」が肉体の防御機能を低下させ、死でさえも魂のレベルでは一つの「選択」であるというセスの視点は、私たちに衝撃と同時に、自らの人生に対する新たな責任と可能性を示してくれたはずです。
しかし、前編を読み終えたあなたは、きっと大きな疑問を抱いているのではないでしょうか?
「私たちの思考や感情が現実を創るというのなら、そのプロセスは一体どこで、どのようにして行われているのか?」と。
今回の【中編】では、いよいよその壮大な謎の核心へと迫ります。
セスが提示する二つの深遠な概念、「世界観」と「内なる世界」を手がかりに、現実創造の舞台裏を覗いていきます。

本ブログの内容をラジオ形式の音声化したものです。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。

あなたの現実を支配する「世界観」の正体 (SESSION 817, 829)
私たちは、自分自身を客観的で理性的な存在だと考えがちです。
目の前にある「事実」に基づいて判断し、行動していると信じています。
しかしセスは、その「事実」そのものが、実は私たちが無意識のうちに受け入れている、より根源的な**「世界観」**というフィルターを通して解釈されたものに過ぎない、と指摘します。
世界観とは何か?:セスが語る、事実を超える創造的エネルギー

セスが語る「世界観」とは、単に個人的な意見や考え方のことではありません。
彼にとって世界観とは、**ある文化や文明の根底を流れ、人々の現実認識を形作る、パワフルで創造的な精神的枠組み(パラダイム)**のことです。
それは、世界を理解するためのOS(オペレーティングシステム)のようなもの、あるいは、世界を見るための色眼鏡のようなものだと考えてみてください。
私たちはそのOSがインストールされていることや、色眼鏡をかけていること自体に気づいていません。
しかし、その世界観が提示するルールや価値観に基づいて、何が「真実」で何が「偽り」か、何が「善」で何が「悪」か、何が「可能」で何が「不可能」かを無意識のうちに判断しているのです。
「世界観は事実の歪曲ではない。むしろ、事実がそこから生まれなければならない子宮なのだ。世界観は、想像力豊かな言葉で表現された、現実の本質に対する内的な理解を伴う。」 (セスブック『個人と大規模イベントの本質』より)
この「世界観」は、私たちの文明のあらゆる側面に浸透しています。
法律、教育、経済システム、そして私たちの日常生活のささいな習慣に至るまで、すべてがその時代の支配的な世界観の影響下にあるのです。
科学も宗教も一つの「世界観」:前編で触れた概念の深掘り
前編では、キリスト教、ダーウィニズム、フロイト心理学といった考え方が、いかにして私たちの「身体」や「衝動」に対する不信感を生み出したかを見てきました。
中編ではさらに視野を広げ、これらの考え方が単なる部分的な影響に留まらず、いかにして私たちの現実認識の全体を規定する包括的な「世界観」として機能しているかを深く探っていきます。
- キリスト教という世界観:
前編で見たように、この世界観は「原罪」の物語を通じて身体への罪悪感を植え付けました。
しかしその影響は、私たちの自己認識全体に及びます。
人間は本質的に不完全で、自力では救われない存在であるという前提は、私たちが常に外部の権威(教会、指導者、専門家)に判断を委ね、自らの内なる声や直感を軽視する傾向を生み出しました。
この「依存の構造」は、宗教の領域を超え、政治や医療、教育といったあらゆる場面で、私たちの主体性を奪う土壌となっています。 - ダーウィニズムという世界観:
「適者生存」の原則は、自然界だけでなく、人間社会のあらゆる側面に適用されるようになりました。
前編で触れたように、これは自然を敵と見なす感覚を育てましたが、それ以上に、私たちの人間関係や経済活動の根底に「競争こそが絶対善である」という信念を深く刻み込みました。
このレンズを通して世界を見ると、他者は協力すべきパートナーではなく、打ち負かすべきライバルに見えます。
この世界観は、協力、共感、愛といった生命の本質的な側面を二次的なものと見なし、私たちを絶え間ない闘争と、他者からの分離・孤立へと駆り立てるのです。 - フロイト心理学という世界観:
この世界観は、私たちの内面、特に感情や衝動を危険なものと見なすよう教えました。
前編では、これが自発性への恐れにつながることを見ました。
さらに深く見ると、この考え方は「本当の自分は、意識的な自分(エゴ)ではなく、コントロール不能な無意識(エス)に支配されている」という無力感をもたらします。
これにより、私たちは自分の感情や欲求のオーナーシップを放棄し、「気分に振り回される」「衝動を抑えられない」といった形で、自分自身に対する責任を回避する傾向を強めてしまったのです。
これらの世界観は、互いに矛盾しているように見えながらも、ある一点において恐ろしく強力な相乗効果を生み出しています。
それは、「人間は本質的に欠陥があり、無力で、信頼できない存在である」というネガティブな人間観です。
私たちは、これらの世界観という名のOS上で思考し、行動することで、知らず知らずのうちに、その世界観が予言する通りの無力で罪深い現実を自ら創り出してしまっているのです。
現実の設計図が存在する領域『内なる世界』 (SESSION 816, 822, 823)
私たちの現実が「世界観」という名のOSによって規定されているとしたら、私たちが日々経験する出来事という名のアプリケーションは、一体どこで、どのようにプログラミングされているのでしょうか?
セスは、その答えが「フレームワーク2」、すなわち「内なる世界」にあると語ります。
「物理的な現実」と「創造の源泉である(内なる世界)」:二つの世界の存在と、その関係性

セスは、現実を理解するために、二つの異なる領域(フレームワーク)を提示します。
- フレームワーク1(物理的な現実):
これは、私たちが五感を通して認識している、時間と空間の中に存在する客観的な世界です。机、椅子、木々、人々、そして私たちが経験するすべての出来事が、この領域に属します。ここは、すでに創造された結果が立ち現れる「舞台」のようなものです。 - フレームワーク2(内なる世界):
これは、物理的な現実の背後に存在する、広大で非物理的な領域です。
時間も空間も存在せず、思考、感情、信念、記憶、そしてあらゆる可能性が、純粋なエネルギーとして存在しています。
ここは、物理的な現実という舞台で上演される劇の脚本が書かれ、リハーサルが行われる「舞台裏」に当たります。
セスによれば、物理的な現実は、この「内なる世界」から絶えずエネルギーと情報の供給を受けて成り立っています。
私たちが物理世界で経験するすべてのものは、まず「内なる世界」で思考や感情という名の設計図として創造され、それが一定のエネルギー強度に達したときに、物理的な現実として「結晶化」するのです。
夢の中の会議室:私たちは夢の中で、どのようにして現実の出来事を選択し、共同創造しているのか

では、私たちはどのようにして、この「内なる世界」にアクセスし、現実を創造しているのでしょうか?
セスは、その最も重要な接点が「夢」であると言います。
私たちは眠っている間、意識が肉体から解放され、「内なる世界」を自由に旅しています。
そこで私たちは、他人とコミュニケーションを取り、情報を交換し、来るべき現実の出来事について「会議」を開いているのです。
「あなたの夢の中で、あなたはキャスティング事務所を訪れる。あなたは、物理的な生産のために検討されている様々な劇(ドラマ)に気づいている。…(中略)…もし十分な関心が示され、十分な俳優が応募し、十分な資金が集まれば、その劇は上演されるだろう。」 (セスブック『個人と大規模イベントの本質』より)
このセスの言葉を、より具体的に見ていきましょう。
- 個人的な現実の創造(例:転職)
あなたが新しい仕事を探しているとします。
物理的な現実では、あなたは求人情報を探し、履歴書を送り、面接を受けます。
しかし、その水面下、夢の中の「内なる世界」では、全く異なるプロセスが進行しています。
あなたは、可能性のある未来の職場をエネルギー体として訪れます。
そこで、未来の上司や同僚となる可能性のある人々の意識と直接触れ合い、その職場の「雰囲気」や人間関係の「質」、そしてそこで働くことで得られるであろう成長の「感触」を、感情レベルで体験するのです。
それは、単なる情報収集ではなく、様々な「もしも」の未来を実際に「試着」してみるようなものです。
そして、あなたの魂の成長にとって最も有益であり、かつ、関わるすべての人々の同意が得られた「シナリオ」が一つに定まった時、それは物理的な現実において、「偶然見つけた求人」「思いがけない人からの紹介」「幸運な内定」といった形で、まるで魔法のように現れるのです。 - 大規模イベントの創造(例:経済不況)
大規模イベントも、この共同創造の原則から外れるものではありません。
例えば、経済不況を考えてみましょう。
多くの人々が、将来への不安から「お金がなくなるかもしれない」「仕事が不安定だ」といった恐怖や欠乏感を抱き始めると、その集合的な感情エネルギーは「内なる世界」で巨大な渦を巻き始めます。
人々は夢の中で、何かを失う夢、追われる夢、不安に苛まれる夢を集合的に見るかもしれません。
この強力な集合的信念は、「豊かさは有限であり、いつか枯渇する」というドラマの脚本を共同で執筆するようなものです。
そして、この脚本に十分なエネルギーが注がれ、多くの魂がそのリアリティに「投票」したとき、それは物理世界において、株価の暴落、企業の倒産、失業率の増加といった形で、誰もが否定できない「現実」として顕現するのです。
このように、流行病や自然災害といった出来事もまた、「内なる世界」で多くの魂が参加する壮大なドラマとして計画され、合意された上で、物理世界に立ち現れます。
それは、個人の、そして集合体としての学びや成長、あるいは解決されるべき不調和を浮き彫りにするための、魂レベルでの共同作業なのです。
『内なる世界』で活動するもう一人のあなた「インナーエゴ」との対話

この「内なる世界」での活動を主導しているのが、セスが「インナーエゴ(内なる自我)」と呼ぶ、私たち自身のもう一つの側面です。
- アウターエゴ(外なる自我):
私たちが普段「自分」だと認識している、物理世界での活動に特化した意識の部分。時間と空間、原因と結果というルールの中で機能します。 - インナーエゴ(内なる自我):
「内なる世界」で完全に意識的に活動している部分。時間や空間に縛られず、無数の可能性の中から、アウターエゴの信念や意図に沿った現実を創造するための、複雑で創造的な作業を行っています。
私たちが「息をする」「心臓を動かす」といった複雑な生命活動を、意識することなく身体に完全に任せているように、私たちは「現実を創造する」という、それ以上に遥かに複雑で壮大な作業を、この信頼すべきインナーエゴに全面的に委ねているのです。
インナーエゴは、私たちの信念や願望を、良い悪いの判断を一切挟むことなく、忠実に聞き入れます。
もしアウターエゴが「私はいつも人間関係で失敗する」と固く信じているなら、インナーエゴは「承知しました」とばかりに、その信念を証明するような人物や状況を完璧にセッティングします。
逆に、「私は素晴らしい機会に恵まれている」と信じているなら、それに見合った現実を用意します。
インナーエゴは、私たちの自由意志を最大限に尊重する、最も忠実でパワフルなパートナーなのです。
問題は、多くの場合、アウターエゴがこの偉大なパートナーの存在に気づいていないことです。
そのため、自分の人生で起こる出来事を、まるで自分とは無関係な「運命」や「偶然」のせいにしてしまいがちです。
しかし、セスが教えるように、アウターエゴが自らの信念や感情に責任を持ち、インナーエゴとの対話(直感やインスピレーションに耳を傾けること)を始める時、私たちは初めて、人生という劇の単なる俳優から、自らの物語を意識的に創造する脚本家へと変容することができるのです。
経験のメカニズム – 「感情」が先か、「出来事」が先か? (SESSION 825)
「内なる世界」の存在を理解すると、私たちの経験のメカニズムに対する見方が180度変わります。
私たちは通常、「悲しい出来事があったから、悲しい気持ちになった」と考えます。
つまり、**出来事(原因)→感情(結果)**という因果関係を信じています。
しかし、セスの視点は全く逆です。
衝撃的な視点の転換:「感情」こそが出来事を引き寄せる根源である
セスによれば、真実の因果関係は**感情・信念(原因)→出来事(結果)**です。
「あなたの感情が、あなたが知覚する出来事を引き起こすのだ。…(中略)…あなたの感情は、出来事が起こる『前に』起こる。なぜなら、感情こそが、出来事がそこから生まれる最初の現実だからだ。」 (セスブック『個人と大規模イベントの本質』より)
私たちの感情や信念は、「内なる世界」における最もパワフルな創造のエネルギーです。
あなたが特定の感情を強く感じ、特定の信念を持ち続けるとき、インナーエゴはそのエネルギーを羅針盤として、それに合致する物理的な出来事を無数の可能性の中から選び出し、あなたの現実へと引き寄せるのです。
例えば、あなたが常に「自分は価値がない人間だ」という感情と信念を抱いているとします。
するとインナーエゴは、その信念を証明するような出来事、例えば、仕事での失敗、人間関係での拒絶、経済的な困難などをあなたの人生という舞台に登場させます。
そして、あなたはそれらの出来事を経験することで、「ほら、やっぱり自分は価値がないんだ」と、その信念をさらに強化することになるのです。
これは、悪循環に見えますが、宇宙の法則が完璧に機能している証拠でもあります。
「偶然」や「チャンス」の正体:「内なる世界」における精妙な調整とコミュニケーションの結果
この視点に立つと、「偶然」や「チャンス」という概念は意味を失います。
あなたが道でばったり旧友に出会うのも、ふと手に取った本に探していた答えが書かれているのも、すべてはあなたの意図や必要性に応じて、「内なる世界」でインナーエゴによって精妙に仕組まれた、完璧なシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)なのです。
そこには、あなたのインナーエゴと、関わるすべての人々のインナーエゴとの間の、驚くほど複雑で、愛に満ちたコミュニケーションと協力関係が存在します。
私たちは皆、目に見えないレベルでつながり合い、互いの成長と学びのために、それぞれの現実という劇を共同で創造している、偉大な俳優なのです。
自分の現実を創造していることに「目覚める」ということの意味

この真実を本当に理解することは、セスが言うところの「目覚め」に他なりません。
それは、夢を見ている最中に、「これは夢だ!」と気づき、夢のシナリオを自由に変えられるようになる「明晰夢」の状態に似ています。
通常の夢の中では、私たちは夢の出来事を現実だと信じ込み、そのストーリーに完全に没入し、翻弄されます。
しかし、明晰夢の状態では、夢を見ていることに気づいた瞬間、意識の質が劇的に変化します。
あなたは、自分がその夢の世界の創造者であることを知ります。
悪夢に追われていても、振り返って怪物と対話したり、その姿を変えたり、あるいは空を飛んで逃げたりすることができます。
夢の法則そのものを変える力さえ手に入れるのです。
この気づきは、恐怖を好奇心と遊び心に変え、あなたを夢の無力な登場人物から、パワフルな創造主へと変容させます。
セスが語る「目覚め」も、これと全く同じプロセスを辿ります。
人生という「目覚めの夢」の中で、自分がその創造者であることに気づくとき、私たちは初めて、無力な犠牲者であることをやめ、自らの人生の脚本を意識的に書き換えることができるようになります。
これは、超能力を得て物理法則を無視できるようになるという意味ではありません。
そうではなく、出来事そのものではなく、出来事の根源である自分自身の信念や感情に働きかけることで、現実を内側から変容させていく力を手に入れるということです。
例えば、いつも批判的な上司に悩まされているとします。
「犠牲者」の意識では、あなたは上司を変えようとしたり、ただ耐えたりするでしょう。
しかし、「目覚めた」創造主の意識では、あなたは自問します。
「なぜ私は、この批判的な人物を自分の現実に引き寄せているのだろう? 私の内なるどんな『価値がない』という信念が、この状況を創り出しているのだろう?」と。
そして、その内なる信念(脚本)に取り組むことで、不思議なことに、上司の態度が軟化したり、異動になったり、あるいは、あなた自身がその状況を全く苦にしなくなるなど、物理的な現実が変化し始めるのです。
この「目覚め」は、一度きりの劇的な体験というよりは、日々の生活の中で、自分の内面と外面の出来事との関連性に気づき続ける、継続的なプロセスです。
この意識的な創造の道を歩み始めることこそが、本書が私たちを導こうとしている最終的な目的地なのです。
まとめ
今回の【中編】では、現実創造の舞台裏に分け入り、私たちの現実がいかに「世界観」というOSによって規定されているか、そして、すべての出来事の設計図が「内なる世界」で描かれているかを探求しました。
【中編の要点】
- 世界観は現実を規定する:
私たちは科学や宗教といった、無意識の「世界観」を通して現実を解釈している。 - 現実は二重構造:
私たちが経験する「物理的な現実」の背後には、創造の源泉である「内なる世界」が存在する。 - 夢は内なる世界への扉:
私たちは夢の中で、他者と協力し、来るべき現実を共同で創造している。 - 感情が出来事を創る:
私たちの感情や信念こそが、それに合致する物理的な出来事を引き寄せる根本原因である。
私たちは皆、自分では気づかないうちに、この壮大な現実創造のプロセスに参加しているのです。
しかし、もし私たちがこれほどパワフルな創造者であるならば、なぜこの世界には、ジョーンズタウンの集団自殺やスリーマイル島の原発事故のような、悲劇的な出来事が後を絶たないのでしょうか?
私たちの「善を望む」という純粋な理想は、なぜ時として、最も破壊的な結果を生み出してしまうのでしょうか?
最終回となる【後編】では、この最も困難な問いに挑みます。
そして、無意識の創造者から、意識的な創造者へと変容し、無力感を超えて世界の共同創造者として生きるための「実践的な理想主義」とは何かを、セスの言葉と共に探っていきます。

ブログを読んで、さらに見識を深めたいと思ったら、ぜひ本書を手に取ってみてください。
本書は英語版のみとなります。