セスブック8『精神の本質』要約と解説【後編】〜意識と遊びで出来事を生み出す創造の技法〜

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 【前編】では精神の基本構造と夢の役割を、【中編】では愛、セクシャリティ、言語、そして神との深遠な繋がりについて探っていきました。
 本記事【後編】で最も根源的な謎へと挑みます。
 それは、「この物理的な現実は、一体どのようにして生まれるのか?」という問いです。

 私たちの思考や感情という、目に見えないエネルギーは、いかにして物質的な「出来事」へと姿を変えるのでしょうか?
 
 子供の「ごっこ遊び」に隠された、現実を創造するための驚くべき秘密とは?
 そして、この広大な宇宙と私たちの精神が織りなす、最終的な関係性とは一体どのようなものなのでしょうか?

 この後編は、あなたが単なる現実の体験者ではなく、その真の創造主であることを思い出すための重要な旅です。
 これまでの知識を統合し、あなたの人生を根底から変容させるかもしれない、創造のメカニズムの核心へと、共に分け入っていきましょう。

本記事のラジオ形式の音声版をご用意いたしました。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。

目次

出来事の誕生 – 純粋なエネルギーが現実になるまで (SESSION 783, 787)

 私たちは普段、出来事を「原因があって結果が生まれる」という直線的な時間軸の上で捉えています。
 しかしセスは、その見方こそが、現実創造の真の姿を覆い隠している最大の錯覚だと語ります。
 出来事の誕生は、もっとダイナミックで、多次元的なプロセスなのです。

 セスは、私たちの現在を、車輪の中心にあるハブ(軸)に例えます。
 私たちは、その車輪が過去から未来へとまっすぐに転がっていくと信じています。
 しかし、その直線的な動きを可能にしているのは、ハブと外輪をつなぐスポークであり、車輪そのものの円環的な性質です。

「あなたの経験の各々の現在の瞬間は、過去だけでなく未来にも、あなたの誕生だけでなく、あなたの死にも依存している。…(中略)…あなたの誕生と死は、言うなれば、組み込まれており、一方が他方の中に暗示されている」

 これは衝撃的な視点です。
 今日の出来事は、昨日の出来事の結果であるだけでなく、来週起こる出来事の結果でもあるというのです。
 私たちの精神にとって、過去・現在・未来は同時に存在し、円環をなしています。
 私たちが体験する「今」という瞬間は、その円環全体のすべての情報(過去、未来、そして無数の可能性)から、最も強烈な一点として焦点を結んだものなのです。

 では、その焦点はどのようにして結ばれるのでしょうか?
 セスは、出来事の形成に関わる二つの重要な概念を提示します。

 一つは**「コルデラ(Cordellas)」**です。
 これは、すべての言語や物理的な現実パターンの源泉となる、精神的な組織単位です。私たちの身体が細胞からできているように、現実はこのコルデラという設計図から生まれます。

 もう一つは**「意義(Significances)」**です。
 これは、出来事を組織する際の根本的な法則であり、因果律に代わるものです。
 意義とは、あなたの信念、欲求、意図、そして感情的な強度が織りなす、ユニークなエネルギーパターンのことです。
 あなたという存在が持つ独自の「意義」が磁石のように働き、広大な可能性の宇宙から、そのパターンに共鳴する出来事を引き寄せるのです。
 出来事は、原因と結果の連鎖ではなく、この「意義」のパターンに従って、意味のあるまとまりとして現れるのです。

 私たちが体験する夢は、この「意義」の法則が支配する、非常に創造的な領域です。
 しかしセスは、その夢さえも、より根源的な現実を翻訳したものであると言います。
 夢のさらに奥には**「夢以前の状態(predream state)」**と呼ばれる、純粋なエネルギーと意識の領域が存在します。

「夢以前の状態では、あなたはそれらの出来事の可能性がすべて一度に存在する現実に直接遭遇する。…(中略)…あなたはそのような出来事を無限の視点から認識する」

 この状態は、時間も空間も形もなく、すべての可能性が純粋なポテンシャルとして存在する、いわば「創造の源泉」です。
 それは混沌とは異なり、無限の秩序と創造性に満ちた、躍動する意識の海です。
 私たちは眠っている間、この広大な領域に意識を浸し、そこで自分自身の「意義」に合った情報や可能性のエネルギーを受け取ります。
 この領域では、出来事はまだシンボルやイメージにすらなっておらず、純粋な意識の躍動として存在しています。

 そして、そのあまりにも膨大で非物理的な情報を、まず私たちの精神が「夢」というシンボリックで個人的な物語へと、最初の翻訳を行います。
 この段階で、無限の可能性は、私たちの信念や感情のフィルターを通して、ある程度の形と方向性を与えられます。

 さらに、その夢の中から、最も強烈なエネルギーを持つものが選ばれ、最終的に具体的な「物理的な出来事」として、私たちの覚醒時の世界に結晶化していくのです。

 私たちの現実は、この何層にもわたる精巧な翻訳プロセスの、最終的な産物なのです。

 セスの語るこの現実創造のプロセスは、驚くほど現代の量子物理学が示唆する世界観と似ています。
 これは単なる偶然の一致ではなく、同じ一つの真実を、外側(物理学)と内側(意識の探求)から描写した結果と考えることもできます。

 量子力学の世界では、電子などの素粒子は、誰かが「観測」するまでは特定の場所や状態を持ちません。
 それは「可能性の波」として、あらゆる場所に同時に存在する雲のようなものだと考えられています。
 そして、「観測」という行為がなされた瞬間に、その無限の可能性の波が一点に収縮し(波束の収縮)、一つの明確な粒子として、特定の場所に姿を現します。

 これが有名な**「観測問題」**です。

 物理学は「観測が現実を決める」ことを示しましたが、その「観測者」の意識がどのようにしてその選択を行うのかについては、いまだ大きな謎のままです。

 ここに、セスの教えが深い洞察を与えてくれます。
 セスの言う「夢以前の状態」にある無数の可能性は、まさに量子力学の「可能性の波」と見事に重なります。
 そして、その波を収縮させる「観測」とは、個人の**「意義(Significances)」**、すなわち信念、感情、意図が一体となった、強力な意識の焦点そのものなのです。
 つまり、私たち一人ひとりの内なる精神状態こそが、無限の可能性の中から一つの現実を選択し、結晶化させる「観測者」の役割を果たしている、とセスは示唆しているのです。
 物理学が突き止めた「何が」起こるのかという現象に対し、セスはその「なぜ」「どのように」という、意識の側面からの説明を与えてくれます。


 さらに、**「多世界解釈」**という量子力学の仮説は、この類似性をさらに深めます。

 この解釈によれば、観測によって一つの可能性が現実として選ばれたとき、選ばれなかった他のすべての可能性が消えてしまうわけではありません。
 それらはすべて、私たちの世界から分岐した別のパラレルワールド(並行宇宙)として、同じように現実化し、存在し続けるというのです。
 これもまた、セスが語る「物理化されなかった可能性も、別の現実として存在する」という考えと完全に一致します。
 セスによれば、それらの世界は単なる理論上の存在ではなく、別の「確率的なあなた」が実際に体験している、私たち自身の現実と等しく有効な世界なのです。
 私たちの夢は、時としてこれらのパラレルワールドへの窓となり、別の選択をした自分の人生を垣間見せることさえあると彼は言います。

 このように、セスは科学がまだたどり着いていない宇宙の真実、特に意識が物質世界を創造するその神秘的な接点を、私たち自身の内側から、直接的な経験を通して探求していたのかもしれません。

誰もができるゲーム – 想像力で現実を創造する (SESSION 793)

 出来事の誕生の壮大なメカニズムを理解したところで、セスは私たちの視点を、より実践的で身近な領域へと引き戻します。
 それは、私たちが皆、子供の頃に夢中になった「遊び」の世界です。
 セスによれば、この創造的な遊びこそが、現実を形成する能力を養うための、最も重要で楽しい訓練なのです。

 子供たちは、夢の中で、そして目覚めている間の遊びの中で、絶えず現実を創造する練習をしています。

「子供たちは夢の中で遊び、現在の身体能力を超えた物理的な行動を実行する。…(中略)…これらの夢の中での遊びは、感覚そのものを刺激し、実際にその協調を確実にするのに役立つ」

 このセスの言葉が示すように、創造のプロセスは、まず最も自由な領域である夢の中で始まります。
 赤ちゃんが実際にハイハイしたり歩き始めたりするずっと前に、夢の中でその動きを何度もリハーサルし、神経回路を活性化させているのです。
 そして、目覚めた後の「遊び」は、その夢で始まったシミュレーションを、物理世界の法則の中で試すための、いわば実験室となります。

 子供たちが夢中になる「ごっこ遊び」は、このプロセスの最も分かりやすい例です。

 お医者さんごっこをする子供は、ただ白衣を着た大人を真似ているのではありません。
 彼らはその瞬、「人を癒す」という役割の内的現実を探求しています。
 患者を思いやる気持ち、知識を持つ者の権威、そして病への恐れといった複雑な感情や概念を、遊びという安全な枠組みの中で体験し、学んでいるのです。

 彼らは様々な可能性の現実を、まるで衣装を着替えるかのように次々と試し、それぞれの現実がどのような感覚をもたらすかを身体で学んでいます。
 この「ごっこ遊び」は、単なる暇つぶしどころか、「イベントを形成する精神的な筋肉」、すなわち想像力、集中力、そして信念を現実化する能力を鍛えるための、極めて高度で本能的な脳の訓練なのです。

 残念ながら、多くの大人は成長するにつれて、この遊び心を忘れてしまいます。
 「想像力は非現実的で役に立たない」という信念によって、自分自身の創造性の翼を縛ってしまうのです。
 セスは、この力を取り戻すために、子供の遊びのように楽しみながら行う、いくつかのシンプルな「創造性ゲーム」を提案します。

  • 時間旅行ゲーム:
     眠りにつく前や、日中のリラックスした時間に、あなたが今いる部屋や場所はそのままに、時代だけを100年前の過去や100年後の未来に設定してみましょう。
     ただ「想像する」だけでなく、五感をフルに使ってその世界に没入してみてください。
     「もしここが100年前なら、窓の外にはどんな風景が広がっているだろう?」
     「馬車の蹄の音や、人々の話し声が聞こえるだろうか?」
     「空気はどんな匂いがするだろう?」

     未来を想像するなら、
     「壁の素材は?」
     「空には何が飛んでいる?」
     「人々の服装や表情は?」と、ディテールを豊かに思い描きます。
     このゲームは、私たちが「今」と呼んでいる時間が、無数の可能性の中のたった一つに過ぎないことを体感させてくれます。

  • 空間旅行ゲーム:
     今度は、時間は「今」のままで、あなたの意識だけを、訪れたことのない遠い場所へ飛ばしてみます。
     例えば、モロッコの喧騒に満ちた市場、あるいは静寂に包まれたチベットの僧院。
     ここでも五感が鍵となります。
     「スパイスの香りや人々の活気を感じられるか?」
     「マントラを唱える低い声や、バターランプの匂いはどうか?」と問いかけてみましょう。
     
     このエクササイズは、私たちの意識が肉体という乗り物に乗りながらも、その可動範囲は本来、物理的な場所に限定されていないという、精神の自由さを思い出させてくれます。

  • 役割交換ゲーム:
     これは、他者への深い共感を育むための、非常にパワフルなゲームです。
     あなたがもし、今とは逆の性別で生まれていたら、現在のあなたの悩みや喜びをどのように感じるでしょうか。
     社会からの期待やプレッシャーは、どう違って感じられるでしょう。
     あるいは、あなた自身が、今対立している上司や、理解できないと感じているパートナーになってみてください。

     彼らの視点から、あなた自身を、そして世界を眺めてみるのです。

     「彼らは日々、どんなプレッシャーの中で生きているのだろう?」
     「彼らの立場から見れば、私の言動はどう映るのだろう?」と想像を巡らせます。

     このゲームは、「私」と「あなた」という強固な境界線を一時的に溶かし、他者の内的現実に触れることで、硬直した人間関係に新しい視点と理解をもたらします。


     これらのゲームの究極的な目的は、「正しい答え」や「正確な透視」をすることではありません。

     その真の目的は、私たちが「現実」と固く信じ込んでいる、一枚岩のように見える時空の枠組みを、遊び心をもって意図的に揺さぶり、意識をそこから解放することにあります。
     この訓練を重ねることで、私たちの知覚は驚くほど柔軟になり、日常生活においても、これまで「不可能だ」とか「選択肢がない」と思い込んでいた状況の中に、見過ごしていた新しい可能性や創造的な解決策を見出すことができるようになるのです。
     それは、現実というキャンバスに、より自由な筆で絵を描く能力を取り戻すことに他なりません。

 セスは、私たちの意識が本来持つ驚くべき能力の一例として、**「二重夢(double dreams)」**を挙げます。
 これは、全く異なる二つ(あるいはそれ以上)の夢を、同時に、同じ強烈さで体験する現象です。
 例えば、一方では中世の騎士として戦いながら、もう一方では未来都市の科学者として実験をしている、といった具合です。

「二重夢や三重夢において、意識はその透明で同時的な性質を示す。いくつかの夢の経験のラインが同時に遭遇され、それぞれがそれ自体で完結している」

 この現象が示すのは、私たちの意識が、一度に一つのことしかできない単線的なものではなく、本来は複数の現実を同時に処理できる、多次元的な性質を持っていることの動かぬ証拠です。
 それは、まるで高性能なコンピューターが複数のプログラムを同時に実行するように、私たちの意識もまた、複数の経験のストリームを並行して生きる能力を秘めていることを意味します。

 私たちが「自分」と認識している覚醒時の意識は、この膨大な並列処理能力の中から、物理的な生存と行動のために、意図的に一つのストリームだけに焦点を絞った状態なのです。
 目覚める直前に、これらの並行する夢の体験が、脳が解釈できる一つの物語へと統合されがちですが、その統合の瞬間に立ち会うことができれば、あるいは目覚めた後に残る「もう一つの夢の断片」に注意を向ければ、私たちは自分自身の意識の驚くべき多層性に気づくことができます。

 セスの教える「創造性ゲーム」と「意識の多次元性」の概念は、自己啓発の分野でよく知られるアファメーション(肯定的断言)やビジュアライゼーションを、より効果的にするための深いヒントを与えてくれます。

 多くの人がこれらのテクニックで失敗するのは、それを「現実を変えるための義務的な作業」として、あまりにも深刻に、そして力ずくで行おうとするからです。
 「私は豊かだ」と歯を食いしばって繰り返しながら、心の中ではお金の心配をしている。
 この状態では、言葉と思考と感情がバラバラであり、創造的なエネルギーは生まれません。

 セスが強調するのは、**「遊び心(playfulness)」**です。

 創造のエネルギーは、深刻さや義務感、そして「欠乏感」から生まれる切迫した願望の中ではなく、子供のような無邪気な喜びと楽しさの中で最も活発に流れるのです。
 なぜなら、「遊び」の状態にあるとき、私たちは結果への執着から解放され、創造のプロセスそのものを楽しむことができるからです。
 その軽やかさが、精神の自然な流れと私たちを同調させるのです。

 望む未来をビジュアライズするときも、それを「達成すべき目標」として力むのではなく、「もし、お金の心配が一切なかったら、どんな気持ちだろう?」「もし、理想のパートナーと週末を過ごすなら、どんな会話をして笑い合うだろう?」と、「こんな世界があったら楽しいな」という軽い気持ちで、創造性ゲームのように遊んでみることです。

 その楽しさ、喜び、ワクワクするといった感情こそが、最も強力な「意義」のエネルギーとなり、可能性の宇宙から望む現実を引き寄せる、真の力となるのかもしれません。
 言葉そのものではなく、その言葉によって喚起される「遊びの感覚」と「喜びの感情」が、現実を創造する鍵なのです。

まとめ:あなた自身の『精神の本質』を探求する旅へ

 この壮大な探求を通して、セスが一貫して伝えようとしてきたメッセージは、極めてシンプルです。
 それは、「あなたこそが、あなた自身の現実の、力強く、正当で、そして愛に満ちた創造主である」ということです。

 あなたの本質である精神は、あなたが想像するよりも遥かに広大で、賢く、そして自由です。
 それは時間と空間の制約を超え、性別の役割を超え、言語の限界を超えて、常に新しい可能性を創造し続けています。
 そして、その壮大な創造のプロセスは、あなたというユニークな存在なしには成り立ちません。

 本書で得た知識は、単なる知的な理解で終わるものではありません。
 それは、あなたが自分自身の人生を、より意識的に、より創造的に、そしてより喜びをもって生きていくための、実践的なツールです。

 夢からのメッセージに耳を澄まし、子供のような遊び心で想像力の翼を広げ、そして何よりも、今この瞬間のあなた自身の直接的な経験を信頼してください。

 そこに、あなたの力のすべてがあります。

 そして、私たちの探求はまだ終わりません。
 セスが最後に伝えたかったメッセージ、宇宙と精神が織りなす壮大な関係性については、次回の補足記事で、さらに深く掘り下げていきます。

ブログを読んで、さらに見識を深めたいと思ったら、ぜひ本書を手に取ってみてください。
本書は英語版のみとなります。

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