私たちは、精神の広大な構造から、愛やセクシャリティ、そして私たちが現実を創造する驚くべきメカニズムまで、セスと共に深く分け入ってきました。
そして、この補足記事では、セスが本書の最後に伝えたかった最も壮大なテーマ、「宇宙と精神」の関係性について、掘り下げていきます。
なぜこの世界には、かくも多くの苦しみや破壊が存在するのでしょうか?
人間の本性は、本当に邪悪なのでしょうか?
そして、絶え間ない情報の洪水の中で、私たちが自分自身の力と平和を取り戻すための、最も確実な方法とは?
これらの問いに対するセスの答えは、私たちの世界観を根底から見直し、日々の生き方に深い安らぎと指針を与えてくれるものです。
シリーズの締めくくりとして、セスが託した希望のメッセージを受け取ってください。

本記事のラジオ形式の音声版をご用意いたしました。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。
宇宙観の再構築:始まりも終わりもない「今」の宇宙 (SESSION 796, 797, 800)
私たちは、宇宙がビッグバンという過去の一点で始まり、やがて終わりを迎えるという、壮大な「始まりと終わりの物語」に慣れ親しんでいます。
しかしセスは、その見方こそが、物理的な時間という限定的な視点から生まれた、一つの側面に過ぎないと言います。
「あなたの宇宙は、ある一点で始まったのではなく、むしろ、至る所で一度に存在し始めた。…(中略)…同じエネルギーが、しかしながら、今なお新たに宇宙に生命を与えており、これらの言葉で言えば、それはまだ創造され続けている」
「始まりと終わりの物語」を超えて
私たちが学校で習い、科学の定説として受け入れているビッグバン理論は、その直線的な物語性ゆえに非常に理解しやすいものです。
明確な始まりがあり、原因と結果の連鎖によって時間が進み、そしていつか終わりが来る。
これは、私たちの日常生活における時間の体験とよく一致するため、直感的に受け入れやすいのです。
しかしセスは、この心地よい物語から一歩踏み出し、意識の枠組みそのものを拡大するよう私たちに促します。
セスが提示する宇宙観は、過去の「一点」から爆発的に始まったというよりも、目に見えない広大な可能性の領域が、ある強度に達した瞬間に、すべての場所で「同時」に物質として姿を現した、というものです。
それは、一点からの爆発というよりは、写真のネガフィルムから像が全体的にじわっと浮かび上がるような、あるいは一つのアイデアが、その細部に至るまで一瞬にして全体像として閃くような、より有機的で同時的な創造です。
この見方は、私たちの「過去が現在を決定する」という深い思い込みに挑戦し、よりホリスティックで、すべてのものが今この瞬間に相互に繋がり合っているという、新しい宇宙像へと私たちをいざないます。

「今、ここ」が創造の最前線であるということ
セスの宇宙観の最も革命的な側面は、「宇宙は常に創造され続けている」という点にあります。
これは、宇宙のエネルギーは有限であり、始まりの爆発以来、徐々に拡散し冷えていっている(エントロピーの増大)という従来の物理学の考え方とは大きく異なります。
セスが語る宇宙は、決して古びたり、エネルギーを消耗したりはしません。
それは、尽きることのない泉のように、すべての瞬間、すべての場所で、その存在そのものを内側から新たに生み出し続けている、永遠に若々しく、躍動する存在なのです。
この視点に立つとき、「今、ここ」という瞬間の意味が劇的に変わります。
それはもはや、過ぎ去った過去とまだ来ない未来の間に挟まれた、単なる通過点ではありません。
「今」この瞬間こそが、宇宙の全エネルギーが注ぎ込まれ、新しい現実が生まれる、唯一の創造の現場なのです。
銀河を誕生させたのと同じ根源的な創造の力が、今まさにあなたの心臓を動かし、あなたの思考を閃かせ、あなたの呼吸を支えています。
「今」とは、すべての創造が収束し、そして新たに発現する、究極のパワーポイントなのです。
あなたの存在が宇宙を織りなす
この「絶え間ない今の創造」という宇宙観は、私たち一人ひとりの存在に、計り知れないほどの重要性と力を与えます。
もし宇宙が常に今ここで創造されているのであれば、私たちはもはや、遠い過去から続く因果律の鎖に縛られた、無力な存在ではありません。
私たちは、創造の最前線に立つ、不可欠な共同創造主なのです。
あなたというユニークな意識は、宇宙がそれ自身を経験し、新しい可能性を表現するための、かけがえのない窓口です。
あなたの思考、感情、そして日々の選択は、決して些細なものではありません。
それらは、宇宙という壮大なタペストリーをリアルタイムで織りなす、一本一本の輝く糸なのです。
この視点は、私たちを宇宙という機械の歯車から、宇宙そのものを生み出す芸術家へと変容させます。
私たちの一つひとつの選択、一つひとつの感情が、宇宙全体の存在のタペストリーに新たな模様を加え、私たち自身の個人的な現実だけでなく、集合的な全体の現実をも、今この瞬間から形作っているのです。
これは、計り知れないほどの力であると同時に、深い責任を伴う、私たちの真の姿なのです。

人間性の再評価:根源的な「善意」と破壊的な「作品」 (SESSION 800)
この常に新しく、創造的な宇宙の中で、なぜ人間はかくも頻繁に、戦争や暴力、破壊といった悲劇的な出来事を生み出してしまうのでしょうか?
歴史を振り返り、日々のニュースに触れるたび、私たちは人間の本性にはどうしようもない悪や愚かさが潜んでいるのではないか、と考えずにはいられません。
しかしセスは、その絶望的な見方を、より深く、より慈悲に満たた視点から、力強く否定します。
歪められた「善意」が悲劇を生む
「人間は破壊的であるとき、それ自体が破壊的であることを求めているのではなく、彼が善であると考える特定の目標を達成したいという願望の中で、彼は自分の方法の質を吟味することを忘れている」
どんなに残酷で理解しがたい行為であっても、その根源を深く、そして正直に探っていくと、そこには歪んでしまった形ではあるものの、「善意(good intent)」が存在するとセスは言います。
それは、「自国民の平和を守りたい」「信じる正義を実現したい」「理想の社会を築きたい」「神の栄光を示したい」といった、その人(あるいは集団)が「善い」と固く信じる目標を達成したいという、純粋な動機です。
歴史上の多くの悲劇は、純粋な悪意からではなく、この歪められた善意から生まれています。
例えば、異端者を火あぶりにした宗教裁判官は、彼らの魂を「永遠の地獄から救済する」という、彼ら自身の価値観においては究極の善意に基づいて行動していました。
あるいは、数百万の人々を粛清した独裁者は、「階級のない平等な理想郷を建設する」という、彼が信じる善意のために、その障害となる人々を排除したのです。
悲劇が起きるのは、その崇高な目標を達成するための方法(メソッド)が、無知(自らの行動がもたらす長期的な結果への洞察の欠如)、恐れ(自分たちとは異なる価値観や存在に対する恐怖)、そして何よりも「自分たちだけが正しい」という分離の意識によって、致命的に歪められてしまうからです。
この分離の意識は、「善」である自分たちと「悪」である他者を明確に区別し、他者を非人間化することを可能にします。
そして、一度この歪みが生じると、目的の善性が、いかなる残虐な手段をも正当化してしまうのです。
このメカニズムを理解することは、人間がなぜ同じ過ちを繰り返し続けるのかを解明する鍵となります。

人間とその「作品」を同一視してはならない
この理解は、私たちに極めて重要な視点をもたらします。
それは、「人間をその『作品(破壊的な行為)』と同一視してはならない」という警告です。
私たちは、ある人の一つの行為、特にそれが許しがたいものである場合、それを見てその人の全人格を「悪」と断罪しがちです。
しかしセスは、それは偉大な芸術家が描いた一枚の失敗作を見て、その芸術家の才能そのものを否定するようなものだと言います。
どんなに失敗を重ね、道を誤ったように見える人であっても、その存在の最も深い核には、「善くなりたい」「より良く生きたい」「愛したい、愛されたい」という、他の誰とも変わらない根源的な衝動、その「善意」の光が決して消えることなく輝き続けているのです。
彼らの破壊的な「作品」は、その光が、恐れや無知、そして歪んだ信念という分厚いフィルターを通して、不器用に、そして悲劇的な形で表現された結果に過ぎません。
この視点に立つことは、破壊的な行為を容認したり、その責任を免除したりすることとは全く異なります。
むしろ、その行為を生み出した根源的な信念や恐れを理解することで初めて、私たちは真の意味でその問題に対処することが可能になります。
単に「悪」を罰するだけでは、その根源にある歪みは温存され、形を変えて何度でも現れるでしょう。
この視点は、他者を、そして何よりも、過去に過ちを犯した自分自身を赦し、その存在の核にある善意を信頼し、そこから再出発することを可能にする、最も重要な鍵となるのです。
あなたの力を取り戻す鍵:「一次情報」と「二次情報」の健全な関係 (SESSION 800)
では、どうすれば私たちは、この根源的な善意を、より建設的で、調和の取れた形で表現できるのでしょうか?
セスは、そのための極めて実践的で、現代に生きる私たちにとって不可欠な鍵を提示します。
それは、私たちが日々、どのような情報を受け取り、それにどう反応するかという、意識の使い方の問題です。
あなたの経験を分ける二つのカテゴリー
セスは、私たちの経験を、その性質によって二つのカテゴリーに明確に分類します。
この区別を理解することは、現代社会における精神的な健康を保つ上で極めて重要です。
- 一次情報(primary experience):
これは、**「今、ここ」**で、あなた自身の五感を通して直接体験している、疑いようのない現実です。
例えば、あなたが今感じている椅子の硬さ、部屋の温度、窓の外から聞こえる鳥の声、手に持ったカップの温かさ、そしてあなた自身の呼吸の感覚。
これらはすべて、あなたの身体が直接的に経験している、揺るぎない「事実」です。
一次情報は、あなたの力の源泉であり、行動を起こすための唯一の基盤です。 - 二次情報(secondary experience):
これは、ニュース、本、SNSのフィード、他人からの伝聞などを通して得る、象徴的で間接的な情報です。
地球の裏側で起きている紛争、未来に起こるかもしれない経済危機、過去に起きた悲劇的な事件の報道など、あなたの直接的な身体感覚の外側にある現実です。
これらはそれ自体が「出来事」なのではなく、出来事を象徴的に表現した「シンボル」の集まりです。

なぜ私たちは無力感に苛まれるのか
現代人は、スマートフォンやインターネットの普及により、この二次情報、特に恐怖や不安を煽るネガティブな情報に、かつてないほど大量に、そして絶え間なく晒されています。
その結果、今この瞬間、自分自身が物理的に安全な場所にいるという**一次情報(直接体験)**を無視し、心と身体は、遠い場所や未来の危険に対して、常に「戦闘モード」や「逃走モード」で反応し続けることになります。
「あなたは、想像された、あるいは二次的に遭遇した危険に対して、物理的に同じように反応することはできない。可能な反応はないように思われる。あなたは欲求不満になる。あなたは、あなたの当面の、一次的な経験に対処するように意図されている」
この状態が続くと、私たちの神経系は疲弊し、慢性的な不安や無力感に苛まれ、自分の人生を主体的に創造する力を失ってしまいます。
セスは、二次情報を完全に遮断しろと言っているのではありません。
世界で起きていることに関心を持つことは重要です。
しかし、忘れてはならないのは、あなたの真の力の源泉、そして現実を創造する基盤は、常に「今、ここ」にある一次情報との、深く豊かな繋がりの中にしかないということです。
まず、自分自身の足元を固めること。
意識を内側に戻し、自分の呼吸を感じ、今この瞬間の豊かさと、身体が感じている安全を、深く味わうこと。
その安定した基盤の上に立って初めて、私たちは世界の他の部分に対して、恐怖からではなく、愛と知恵から生まれた、真に建設的な助けを提供することができるのです。

【考察】バシャールなどが語る「パラレルワールドへの移行」との関連性
セスの語る「一次情報」と「二次情報」の概念は、バシャールなどの他のチャネリング情報で語られる「パラレルワールドへの移行」のメカニズムを理解する上で、非常に重要な示唆を与えてくれます。
バシャールは、「あなたの現実は、あなたの波動(感情や信念の状態)の反映である」と語ります。
メディアが伝えるネガティブな二次情報に意識を同調させ続けることは、自らの波動を恐怖や無力感の周波数に合わせ続けることに他なりません。
その結果、私たちは、その波動に共鳴する、より多くのネガティブな出来事を体験するパラレルワールドへと、知らず知らずのうちに移行していくのかもしれません。
逆に、今この瞬間の一次情報、すなわち自分自身の身体感覚や、目の前にある小さな喜び、自然の美しさに意識を向けることは、自らの波動を平和や感謝の周波数にチューニングする行為です。その波動を保ち続けることで、私たちは、より平和で豊かな現実が展開するパラレルワールドへと、自然に移行していくことができるのではないでしょうか。
あなたの意識の焦点が、あなたの体験する世界を決めるのです。

まとめ:あなた自身の『精神の本質』を探求する旅へ
全3回と補足記事にわたる『精神の本質』の旅は、ここで終わりを迎えます。
この壮大な探求を通して、セスが一貫して伝えようとしてきたメッセージは、極めてシンプルでありながら、私たちの人生を根底から変える力を持っています。
それは、「あなたこそが、あなた自身の現実の、力強く、正当で、そして愛に満ちた創造主である」ということです。
あなたの本質である精神は、あなたが想像するよりも遥かに広大で、賢く、そして自由です。
それは時間と空間の制約を超え、性別の役割を超え、言語の限界を超えて、常に新しい可能性を創造し続けています。
そして、その壮大な創造のプロセスは、あなたというユニークな存在なしには成り立ちません。
本書で得た知識は、単なる知的な理解で終わるものではありません。それは、あなたが自分自身の人生を、より意識的に、より創造的に、そしてより喜びをもって生きていくための、実践的なツールです。
このブログ記事が、あなたがあなた自身の『精神の本質』を探求する、終わりなき素晴らしい旅への、一つのきっかけとなることを心から願っています。



ブログを読んで、さらに見識を深めたいと思ったら、ぜひ本書を手に取ってみてください。
本書は英語版のみとなります。