前編では、著者ジェーン・ロバーツの壮絶な個人的体験を通して、セスの教えがいかに生身の人間性と深く結びついているかを探りました。
創造主自身の苦悩という、胸に迫るドラマ。
では、その向こう側に、セスはどのような壮大な宇宙のビジョンを提示するのでしょうか。
この中編では、いよいよ『夢、進化、そして価値実現』の核心へと踏み込みます。
「私たちはどこから来たのか?」
「この宇宙はどのようにして始まったのか?」
「私たちの存在に、果たして目的はあるのか?」
――古今東西の探求者が問い続けてきた、これらの根源的な謎に、セスは驚くべき視点から光を当てます。
これから語られる内容は、あなたの世界観を根底から揺るがすかもしれません。
しかし、それは同時に、あなた自身の存在が持つ計り知れない価値と、宇宙との深いつながりを再発見する旅となるはずです。

本記事のラジオ形式の音声版をご用意いたしました。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。
前編はこちらです↓↓↓↓

宇宙創成の物語:「始まる前に」存在したもの
宇宙の「始まり」を語るとき、私たちは無意識のうちに「いつ?」という問いを立ててしまいます。
しかしセスは、その問い自体が、私たちが後天的に身につけた時間という直線的な物差しに過ぎないと指摘します。
彼は、過去に起源を探すことの無意味さを、次のような一見奇妙な言葉で示唆します。
「『宇宙は昨日始まるだろう』、そして『宇宙は明日始まった』。これらの言葉はまったく無意味です。しかし、あなた方の時間感覚がおそらく憤慨するでしょうが、事実として、『宇宙は遠い過去に始まった』という言葉も、基本的には同じように無意味なのです」
これは、宇宙は遠い過去に一度だけ創造されたのではなく、「今、この瞬間」に絶えず、そして新しく創造され続けているからです。
セスにいざなわれ、私たちの知性がスキャンダルと感じるかもしれない、その深遠な創造の源泉へと潜っていきましょう。
「すべてであるもの(All That Is)」の夢

では、私たちの知覚する「始まり」の前には、一体何があったのでしょうか。
セスによれば、そこには時間も空間もない純粋な意識の次元、「すべてであるもの(All That Is)」と呼ばれる、神聖で無限の創造性を持つ主観性だけが存在していました。
それは決して「無」ではなく、むしろ無限の可能性で満たされた、活気に満ちる「内なる風景」でした。
この神聖な意識の中で生まれる思考や夢は、私たちが考えるような儚いものではありませんでした。
それらは瞬時に独自の生命力とリアリティを帯び、自らもまた創造したいという欲求を持つに至ります。
セスはこの驚異的なプロセスを次のように描写します。
「壮麗な活力を持つ思考が、自らの思考を考え始め、その思考がまた思考を考えたのです。
神聖な驚きと喜びの中、『すべてであるもの』は、自らが産み出したこれらの思考や夢に応え、対話を始めました」
これは一方的な創造ではありませんでした。
「すべてであるもの」は、自らの内なる子供たちとも言える無数の意識たちの求めに応じ、彼らのために意図的に精神的な状況を創造し始めたのです。
創造の源泉でさえ、自らの創造物との対話を通じて、自らを展開させていく。
ここに、宇宙の根源的な「相互作用性」と「共創造」の姿が見て取れます。
意識の誕生と無限の可能性

この「すべてであるもの」の内的宇宙で、神聖な精神の子孫として生まれた無数の意識たち。
驚くべきことに、今この文章を読んでいるあなたの意識もまた、その一員でした。
私たちは、その根源的な故郷で、さらなる経験と、自らの創造性を発揮するための「自由」を渇望し始めたのです。
セスはこの状況を「神聖なジレンマ」と呼びます。
自らの内で生まれた愛しい子供たちが、独自の経験を求めてひしめき合い、一種の神聖なプレッシャーが生まれていたのです。
このジレンマを解決するため、「すべてであるもの」が取った行動は、論理的な計算や義務からではなく、純粋な愛から生じました。
「それは『愛を込めて自らの存在から創造する必要性』、そして『あらゆる可能な意識が、出現し、知覚し、そして愛する機会を持つこと』を見届ける必要性によって動かされています」
その答えこそが、これまで想像もされなかった神聖なインスピレーションの飛躍――すなわち、これらの意識たちが自由に経験し、自らの創造性を発揮できる「客観的な世界」、私たちの知るこの物質宇宙を創造することだったのです。
私たちの宇宙は、根源的な意識の、愛に満ちた決断から生まれたのです。
「客観的な世界」、つまり私たちの物質宇宙を創造することでした。
神聖な爆発:「初めに」何が起こったのか

宇宙の始まり。
それは、科学者が語るような無機質で冷たいビッグバンではありませんでした。
セスによれば、それは「すべてであるもの」の神聖なインスピレーションが、愛と喜びに満ちて客観的な現実へと爆発した、意識の祝祭だったのです。
セスはこの出来事を、物理的な爆発ではなく、意識の次元における「勝利に満ちた突破口」であり、「別の種類の存在へのブレークスルー」と表現しています。
それは、これまで内なる世界にのみ存在していた無限の可能性が、形ある世界として初めて客観的に現れた、歓喜の瞬間でした。
セスは、この最初の瞬間に「重さのない、耐えがたいほどの塊」が出現し、それが瞬時に爆発したと描写します。
この一見矛盾した表現は、この出来事が私たちの物理法則を超えた次元で起こったことを示唆しています。
私たちが何十億年とかけて起こったと想像するようなプロセスが、時間という概念の存在しない領域で、「まばたきする間に」起こったのです 。
この神聖な爆発によって、地球を含むすべての物理世界は、意識が自らを自然の様々な様相へと変容させることで出現しました。
山々、海、そして生命は、すべて意識が自らを物質として表現することを学んだ結果なのです。
意識が物質となるプロセス – 意識の単位(CU)とは

では、具体的にどのようにして非物質的な意識が、私たちの知る物質世界を形成したのでしょうか。
その鍵を握るのが、セスが提示する根源的な要素、**「意識の単位(Consciousness Units / CU)」**です。
セスは、この宇宙のすべての物質、エネルギー、そして空間を満たしているものが、この「意識の単位」であると語ります。
これらは破壊不可能で、常に活性化した意識そのものであり、すべての創造の基礎をなすものです 。
「意識と物質とエネルギーは一つですが、エネルギーが物質へと変容するのを始動させるのは意識です」
この「意識の単位」の最も驚くべき特性は、その二重性にあります。
- 粒子としての振る舞い:
CUが粒子として働くとき、それらは自らの周りに「境界線」を確立し、個体性を持ちます。
この状態において、それらは「時間の中での連続性」を築き上げます。
つまり、私たちが体験する「個としての自分」や、過去から未来へ流れるという時間の感覚は、CUが粒子として振る舞うことによって生まれるのです。 - 波としての振る舞い:
一方で、CUが波として働くとき、それらは一切の境界を持たず、「同時に一つ以上の場所に存在する」ことが可能になります。
これは彼らのより根源的な状態であり、時間や空間を超えて遍在する、純粋な意識のフィールドです。
この状態にある意識は、未来を予知したり(予知能力)、遠くの出来事を知ったり(透視能力)することができます。
なぜなら、その意識は文字通り「あらゆる場所に、あらゆる時に」すでに存在しているからです 。
セスによれば、CUは常にこの両方の形で同時に機能しています。
個としての私たちは、粒子として存在しながらも、その根底では波としてすべての存在と繋がる意識のフィールドに乗っているのです。
セスはこれを、「原子や分子は、意識が物質を形成するために用いる、生きて話す母音や子音となった」と詩的に表現しています 。
このCUこそが、「すべてであるもの」が私たちの世界を形成するために作用する、形而上学的な接点であり、「決して終わることのない創造的なインスピレーションが、即座に接触する点」なのです。
時間と空間の幻想

セスは、私たちが当たり前のものとして受け入れている時間と空間でさえ、絶対的なものではなく、「心理的な特性」であり「創造的な構造物」であると断言します。
それは、意識がその中に存在する外部の容器なのではなく、意識自身が知覚を整理するために用いる、内的なツールなのです。
宇宙は、私たちが考えるような特定の時間、特定の場所で始まったのではありません。
「すべての空間とすべての時間が同時に現れ、そして同時に現れ続けている、と言うのが真実です」
この言葉は、私たちの常識を根底から覆します。
もし宇宙の始まりが「過去」の出来事ではないとしたら、それは一体何を意味するのでしょうか。
セスによれば、それは宇宙の創造が決して終わった出来事ではなく、「今、この瞬間」も絶えず続いているということです。
「始まりは『今』なのです。神聖な主観性が客観性へと爆発する、あの決定的な瞬間は、常に起こり続けているのです」
私たちが感じる「時間の流れ」――過去が過ぎ去り、未来がやってくるという感覚――は、この瞬間に私たちの意識が創造している壮大な幻想にすぎません。
それは、物理的な経験を秩序立て、原因と結果という学びを可能にするための、見事な舞台装置なのです。
この驚くべき視点は、私たちの生き方を根本から変えるほどの力を秘めています。
もし、すべての創造が「今」起こっているのであれば、私たちはもはや変えられない過去の犠牲者でも、不確定な未来の奴隷でもありません。
すべての力は、この現在という一点に集約されているのです。
過去は現在の視点から絶えず再解釈され、未来は現在の選択によって無数の可能性の中から形作られます。
過去に囚われたり、未来を過度に恐れたりする必要がないのは、このためです。
【バシャールとの比較】並行現実と「今」の力

このセスの時間論は、高次元存在バシャールが語る**「並行現実」**の概念によって、より具体的に理解することができます。
バシャールによれば、私たちの意識は毎秒何十億回という驚異的なスピードで、静止した無数の並行現実(映画のフィルムのコマのようなもの)の間をシフトしています。
私たちが「時間」や「変化」、「動き」として知覚しているのは、この超高速なコマ送りの結果生まれる錯覚に過ぎない、というのです。
テレビのチャンネルをザッピングするように、私たちの意識は「今」この瞬間の自分の波動や信念に最も共鳴する現実のコマを選択し、体験しています。
セスが語る「すべての時間が同時に存在する」という概念と、バシャールが語る「無数の並行現実が同時に存在する」というビジョンは、本質的に同じ宇宙の真実を指し示しています。
どちらの教えも、私たちが経験している直線的な時間は、より広大で、すべてが同時に存在する「広々とした現在(Spacious Present)」の中から、私たちの意識が切り取って体験している一つの経路に過ぎないことを教えてくれます。
この理解は、私たちを時間の束縛から解放し、「今」という瞬間に秘められた無限の創造の力を取り戻すための、最も重要な鍵となるのです。
価値実現(Value Fulfillment)とは何か?
では、この壮大な宇宙創造の究極的な目的とは何なのでしょうか。
もし宇宙が「すべてであるもの」の愛と喜びから生まれたのだとしたら、その原動力は何なのでしょうか。
セスはその答えを、本書を貫く最も重要な概念である**「価値実現(Value Fulfillment)」**という言葉で示します。
これは、単なる哲学的な理念ではなく、原子から人間、そして銀河に至るまで、すべての生命と意識に内在する根源的な衝動です。
生命の質の向上:存在から「より良く」存在するへ
多くの思想では、生命の第一目的は「生存」であるとされます。
しかしセスは、それを遥かに超えた視点を提示します。
価値実現の第一の側面は、生命が単に存続するだけでなく、その存在の「質」そのものを絶えず豊かにし、高めようとする生来のベクトルです。
「我々は、生命の存在を継続させ、保証するためだけに生きているのではなく、生命そのものの質に付け加えるために生きているのです」
これは、あなたの人生における喜び、学び、愛、そして挑戦のすべてに意味を与える視点です。
あなたは、ただ生き永らえるためにここにいるのではありません。
あなたの経験の一つ一つが、宇宙全体の「生命の質」という壮大なタペストリーに、新たな色彩と深みを加える一本の糸なのです。
無限の可能性の追求:内なる創造性の爆発

価値実現の第二の側面は、すべての意識に備わった、自らの持つあらゆる可能性を探求し、それを現実世界で表現しようとする、止めどない内なる創造的な力です。
セスは、すべてのエネルギーの根源的な特性として「無限に創造的、革新的、独創的」であることを挙げています 。
「エネルギーの各部分は、内蔵された創造性の領域を与えられており、それはあらゆる可能なバリエーションにおいて自らのポテンシャルを達成しようと努めます」
あなたの内に秘められた才能、情熱、好奇心、そして時に奇妙に思えるような衝動でさえ、この宇宙的な創造性の一つの現れです。
あなたが心から「ワクワクする」ことに向かって一歩を踏み出すとき、それは単なる個人的な活動に留まらず、あなたというユニークな意識が、自らのポテンシャルを達成し、宇宙に新たな価値をもたらす神聖な行為となるのです。
宇宙的な協力関係:「適者生存」を超えて
そして、価値実現の最も深遠で美しい側面が、この宇宙が本質的に協力的な事業であるという真実です。
ダーウィニズムが提唱した「適者生存」という、冷徹な競争のイメージとは全く対照的に、セスの宇宙では、すべての存在が互いを助け合い、高め合うように設計されています。
「(自らのポテンシャルを達成しようと努め)そしてそのような発展が、現実の他のあらゆる部分の創造的なポテンシャルをも促進するような形で、それを行います」
花がその美しさ(価値実現)を咲かせることが、蜜蜂の糧となり(価値実現)、蜜蜂が花粉を運ぶことが、花の種の繁栄(価値実現)に繋がるように、宇宙のすべての要素は、相互扶助の壮大なネットワークの中に存在しています。
「すべての存在が互いを高め合う」という温かな協力関係こそが、この宇宙の揺るぎない基本設計図なのです。

あなたの目的は「在ること」そのもの
この「価値実現」という概念は、「私の人生の目的は何か?」という根源的な問いに、シンプルかつ力強い答えを与えてくれます。
セスによれば、私たちの人生の目的とは、何か特定の職業に就くことや、歴史に名を残すような偉業を成し遂げること以前に、まず**「在ること(being)」そのもの**にあります 。
あなたが、あなたとして、ただここに存在している。
その事実自体が、あなたというユニークな視点を通じて宇宙が自らを経験し、新たな価値を創造する、かけがえのないプロセスなのです。
あなたの喜びも、悲しみも、成功も、そして失敗さえも、すべてが宇宙の豊かさに深みを加える貴重なデータとなります。
だからこそ、私たちは目的を探して焦る必要はありません。
あなた自身の内なる声に耳を澄ませ、自らの感情と衝動を信頼し、最もあなたらしく「在る」こと。
それこそが、宇宙的な価値実現に貢献する、最も確実で美しい道なのです。

まとめ:私たちは創造の物語の中にいる
セスが中編で描き出すのは、私たちが、意味もなく偶然に生まれた存在ではなく、愛と喜びに満ちた宇宙的な創造の物語に登場する、かけがえのない参加者であるという真実です。
私たちの意識は、「すべてであるもの」の神聖な夢から生まれ、自らの可能性を最大限に表現する「価値実現」という目的を持って、この物質世界を旅しています。
時間や空間という制約さえも、その旅をより豊かにするための創造的な舞台装置にすぎません。
私たちの存在の一つ一つが、宇宙の壮大なシンフォニーを奏でる、かけがえのない音符なのです。
後編では、この壮大な宇宙の物語が、地球という舞台の上で、私たち人類の意識の進化としてどのように展開されていったのか、「夢遊病者」の時代からエデンの園の伝説、そして魂の目覚めまでの壮大な旅路を追っていきます。
ブログを読んで、さらに見識を深めたいと思ったらぜひ本書を手に取ってみてください。
ただし、本書は日本語訳版はまだ発売されていないので、英語版のみとなります。