セスブック2「個人的現実の本質」の要約と解説(中編):心と体の癒し〜健康、罪悪感、恩寵の真実

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 前編では、私たちの思考や信念が、いかにして個人的な現実を創造しているかという、セスの教えの根幹に触れました。私たちの意識こそが、人生という「生きた絵」を描くアーティストであるという真実は、大きな希望を与えてくれます。

 しかし、この法則を理解したとしても、私たちの前には次のような、より深く、そして切実な疑問が立ちはだかります。

「なぜ、私たちは自ら望まない病や困難な状況を創り出してしまうのでしょうか?」
「私たちの心を苛む “罪悪感” や “無価値感” の本当の源は、どこにあるのでしょうか?」

この中編記事では、セスの深遠な洞察をさらに掘り下げ、これらの問いの核心に迫ります。
 本書の中で最もドラマチックな事例の一つである「オーガスタス」の物語を通して、信念の対立が心に何をもたらすのかを探求します。

 そして、健康と病に隠された魂のメッセージ、私たちを縛る「罪悪感」の真の起源、そしてすべての存在が無条件に浴している「自然の恩寵」とは何かを解き明かしていきます。

 もしあなたが、繰り返される心身の問題や、拭いがたい自己否定の感覚に悩んでいるのなら、この記事の中にその「見えない鎖」を解き放つ鍵が見つかるかもしれません。

本記事のラジオ形式の音声版をご用意いたしました。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。

目次

信念の対立が創り出す心のドラマ

 私たちは、時として自分の中に全く相容れない二つの想いが存在することに気づきます。
「成功したい」と強く願いながら、心のどこかで「自分には価値がない」と信じている。
 あるいは、「自由になりたい」と渇望しながら、「安定を失うのが怖い」という信念に縛られている。

 セスは、このような「対立する信念」こそが、人生における多くのドラマや困難の源泉であると指摘します。

 本書でセスは、この信念の対立がもたらす極端な例として「オーガスタス」という男性のケースを詳細に解説します。
 これは単なる珍しい事例ではなく、セスが「信念の性質と力、そして個人が自分の思考に対する責任を受け入れないときに生じうる葛藤を美しく示している、古典的な例」として挙げる、私たち自身の内面を映し出す物語です。

 オーガスタスは、幼少期に植え付けられた「自分は無力で価値がない」という強い信念と、それに対抗するために自ら創り出した「自分は全能で、他人を超越した存在だ」という、正反対の信念を同時に抱えていました。
 彼の意識的な心は、これらの矛盾した指令に絶えられず、身体は常に混乱状態にありました。
 ホルモン系は交互に指令を受け、身体の化学的性質は劇的に変動したのです。

 最終的に彼の意識は、ある種の「防衛策」を講じます。
 それが、意識そのものを二つに分け、それぞれの信念体系を別々の人格として顕現させることでした。

  • オーガスタス1:
     本来の彼。
     無力感と自己否定の信念に支配され、現実世界では弱々しく、受動的。
  • オーガスタス2:
     もう一人の彼。
     全能感と優越感の信念に満ち、尊大で攻撃的、そして超人的な力を発揮する。
     「別の銀河から来た宇宙人」という設定を持つこの人格は、無力なオーガスタス1を助けるために存在する、とされていました。

 セスによれば、これは一般的に考えられているような、無意識の奥底から現れる多重人格とは異なります。

 これは、意識的な心が、対立する信念を整理するために自らを分割した「意識の分裂」なのです。

 この物語は、私たちの信念がいかに現実の自分自身の人格や能力、そして肉体の状態までもを劇的に変化させる力を持っているかを、鮮烈に示しています。


 このオーガスタスの状態は、高次元存在バシャールが言うところの、制限的な思考を持つ「フィジカルマインド(自我)」が、より大きな視点を持つ「ハイヤーマインド(高次の自己)」との繋がりを見失った状態と見ることもできます。
 ハイヤーマインドは常に私たちを最善の道へ導こうとしていますが、フィジカルマインドがあまりにも強力な「自分は無力だ」といったネガティブな信念を持っていると、その導きを受け取れず、このような内なる分裂や葛藤として現実化することがあるのです。

健康と病:肉体が語る魂のメッセージ

 オーガスタスの例が示すように、私たちの内なる信念は、心だけでなく肉体の状態にも直接的な影響を及ぼします。

 セスは、健康や病気もまた、例外なく私たちの信念が物質化したものであると語ります。

 多くの自己啓発やスピリチュアルな教えでは、「ポジティブな思考をしましょう」と説かれます。

 しかしセスは、単純に「悪い思考」や「ネガティブな感情」に蓋をし、無理やり「良い思考」で上書きしようとすることの危険性を警告します。

セスの言葉
「もしあなたが『ああ、それならこれからは良い思考だけをして、健康になろう。そして悪い思考は抑圧するか、とにかく考えないようにしよう』と思うなら、あなた自身のやり方で、オーガスタスがしたことと同じことをしているのです。」

 セスによれば、抑圧された思考や感情は決して消え去ることはありません。

 それらは行き場を失ったエネルギーとなり、歪んだ形で蓄積され、結果として心の不調や、より深刻な肉体の病という形で爆発的に現れるのです。

 これをセスは「悪魔の誕生」という比喩で表現しています。

 それは、抑圧された自然な攻撃性や感情が、あたかもそれ自身の生命を持つかのように振る舞い始めることを意味します。

 セスはさらに踏み込み、私たちの思考は単なる抽象的なものではなく、ウイルスのように実在し、肉体に影響を与えると説明します。

セスの言葉
「あなた方の思考は、ウイルスのようなものだと考えることができます。それらは生きていて、常に存在し、反応し、独自の移動性を持っています。物理的に言えば、思考は化学的に推進され、ウイルスがあなた方の時間的な肉体を旅するように、見えない経路を通って肉体を旅するのです。」

憎しみや自己否定といった強い思考は、それ自体が強力なエネルギーを持つ「ウイルス」として肉体のシステムに侵入し、化学的な不均衡や細胞の異常を引き起こします。

 病気とは、外部から侵入してきた敵ではなく、自らの思考が生み出した内なる創造物なのです。

 この視点は、私たちに自らの健康に対する完全な責任と、それを回復させる力が内にあることを教えてくれます。

「罪悪感」と「恩寵」の真実

 私たちの心を縛り、病や不幸を生み出す最も根深い信念の一つが「罪悪感」です。

 セスはこの罪悪感を二つに分けて解説します。
 これらを区別することが、解放への重要な鍵となります。

 セスの言う「自然な罪悪感(Natural Guilt)」とは、本来、非常に建設的な機能を持つものでした。

 それは、「汝、侵害するなかれ(Thou shalt not violate)」という、生命が持つ根源的な衝動です。

 他者の生命や存在を不必要に傷つけた時に感じる、共感に基づいた健全な心の痛みであり、これが私たちに他者との調和を促します。
 その目的は罰ではなく、未来の同じ過ちを避けるための「予防措置」なのです。

 一方で、私たちが日常的に苦しんでいるのは「人為的な罪悪感(Artificial Guilt)」です。
 これは、親や社会、宗教など、外部から与えられた「こうあるべきだ」という基準や道徳律から外れたときに感じる、不自然な罪の意識です。

 「完璧でなければならない」
 「怒りを感じてはいけない」
 「自分の欲求を優先してはいけない」

といった信念が、この種の罪悪感を生み出し、私たちから生命力を奪っていきます。

 人為的な罪悪感に苛まれているとき、私たちは本来の状態を見失っています。
 セスによれば、私たちの本来の状態、それは「自然の恩寵(Natural Grace)」の中にいることです。

セスの言葉
「恩寵の状態とは、すべての成長が楽々と行われる状態、あらゆる存在の基本的な要件である、透明で喜びに満ちた黙認の状態です。…あなたは恩寵の状態に生まれ、そこから離れることは不可能なのです。あなたは恩寵から『堕ちる』ことはできず、またそれを取り去られることもありません。」

 動物たちがそうであるように、私たちも本来、ただ存在しているだけで完璧であり、その成長や生命活動は宇宙から全面的にサポートされています。
 私たちは恩寵を失うことはできません。
 ただ、人為的な罪悪感という信念によって、その状態を「忘れてしまう」ことができるだけなのです。

 この「人為的な罪悪感」から自由になるための一つの鍵が、バシャールの提唱する「あなたのワクワクに従う」という生き方かもしれません。
 罪悪感に基づく「~すべきだ」という動機ではなく、魂が純粋に喜びを感じる「ワクワク」を羅針盤にすることで、私たちは自ずと「自然な恩寵」の流れと調和し、本来の自分自身を生きることができるようになるのです。

良心の誕生と「善悪」という信念体系

「人為的な罪悪感」は、私たちが持つ「良心」や「善悪」の概念と深く結びついています。
 セスは、これらの概念がどのようにして生まれたのかを、壮大な神話の解釈を通して解説します。

 旧約聖書のアダムとイブの物語は、単に人類が犯した「原罪」の物語として語られることがほとんどです。

 しかし、セスの視点から見ると、この物語は全く異なる様相を呈します。

 これは、人類の意識が、いかにして現在の「自我意識」を獲得し、自らの現実を創造する力を手に入れたかという、壮大で象徴的な叙事詩なのです。

 セスによれば、この神話の登場人物や要素は、私たちの意識の特定の側面や段階を象徴しています。

  • エデンの園:
     これは、すべての生命が自然と一体であり、分離の感覚が存在しない、本能に導かれた無垢な意識状態を象徴しています。
     そこでは、個々の生命は全体の流れの中で行動し、「自分」という意識も、それに伴う「選択」や「責任」も存在しませんでした。
  • 知恵の樹と蛇:
     セスは、この物語の鍵を握る「蛇」を、一般的に考えられているような悪の化身とは捉えません。
     『蛇は、創造物の中に深く根ざした知識の象徴である。それはまた、ある意味で自らを超えて上昇しようとする衝動をも含んでいる。』
      蛇は、生命に内在する根源的な知恵や、進化しようとする直感的な力を象徴しているのです。
  • 知恵の実を食べる(イブとアダムの役割):
     セスは、物語でイブが先に禁断の実を食べたことに、深い意味を見出します。

     『この物語で女性として描かれている、人種の直感的な要素こそが、この直感的な味覚をもたらしただろう。その後に初めて、アダムによって象徴される自我が、その新たな誕生を遂げることができたのだ。』

     つまり、まず「直感(イブ)」が新たな可能性に気づき、行動を起こす。
     その後に、「論理的な自我意識(アダム)」がそれを追体験し、確立していくという、意識の進化のプロセスがここに象徴されているのです。
     これにより人類は、本能という自動操縦から離れ、初めて「選択の自由」と、その結果に対する「責任」を手にしました。
     「善」と「悪」という概念は、この新しい意識が世界を区別し、評価するための道具として生まれたのです。
  • 楽園追放:
     これは神からの罰として描かれますが、セスの視点では、これもまた魂による自発的な選択です。
     一体性の意識(エデンの園)からあえて離れ、「分離」と「個性」を体験し、自らが現実を創造するという壮大な学びを始めるための、勇敢な魂の旅立ちを象徴しています。
     私たちは、自らの思考や感情が現実を創り出す力を学ぶために、「追放」という名の冒険を選んだのです。

 
 この物語は、善悪の二元論が、私たちが主体的に現実を創造する能力を得るために必要不可欠なステップであったことを示唆しています。
 この分離と対立の体験を経て、私たちは再びすべてが一つであるという真理を、今度は「意識的に」理解し、より高次の統合へと至る旅に出たのです。

 こうして生まれた善悪の概念は、時代や文化によって様々な「大衆的な信念」を生み出しました。
 セスは本書で、「キリスト教徒であること」「白人であること」「裕福であること」などが「善(恩寵の状態にある)」とされ、そうでないものが「悪」とされる信念体系が存在することを指摘します。

 たとえ私たちが個人的にそう信じていなくても、こうした社会全体の集合的な信念は、強力なエネルギーフィールドとして私たちの現実に影響を及ぼします。
 自分では気づかないうちに、これらの価値判断に基づいて自分や他人を裁き、不必要な制限や葛藤を生み出している可能性があるのです。

まとめ:内なる対立を乗り越え、癒しへ向かう道

この中編では、私たちの内面で繰り広げられる信念のドラマと、それが心身の健康や社会との関わりにまで影響を及ぼす仕組みを見てきました。

  • 対立する信念は、意識の分裂さえ引き起こす力を持つ。
  • 病気やネガティブな感情は、抑圧されたエネルギーや信念が送るメッセージである。
  • 私たちを苦しめるのは、共感から生まれる「自然な罪悪感」ではなく、外部から植え付けられた「人為的な罪悪感」である。
  • 私たちは本来、常に「自然の恩寵」の中にいる。

 これらの理解は、自分を責めることをやめ、内なる対立の真の姿を見つめるための大きな助けとなるでしょう。
 問題の根本は、出来事そのものではなく、それを解釈しているあなた自身の「信念」にあるのです。
 今日、あなたが『~すべきだ』『~すべきでない』と感じた瞬間を思い出してみてください。
 その背後には、どのような「人為的な罪悪感」が隠れているでしょうか?

 では、どうすればこれらの信念を具体的に手放し、望む現実を選択することができるのでしょうか?
 どうすれば、過去の足枷から解放され、「今、この瞬間」に宿る真の力を取り戻せるのでしょうか?

 最終章となる後編では、これらの見えない鎖を断ち切り、意識的に現実を書き換えるための、セスによる最も具体的で強力なツール——「ありそうな現実」の概念、「力のポイントは現在にある」という真理、そして「自然な催眠」を用いた信念の書き換え方——をお伝えします。<(_ _)>

ブログ記事を読んでさらに見識を深めたいと思ったらぜひ本書を手に取ってみてください。
日本語版・英語版ともにリンクを貼っておきます。<(_ _)>

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