セスブック9「個人と大規模イベントの本質」の要約と解説(前編):病気や流行病はあなたが創っている?

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「あなたは、あなた自身の現実を創造する」

 この力強い言葉を、あなたも一度は耳にしたことがあるかもしれません。
 これは、20世紀最高の形而上学教師と称される存在「セス」が、ジェーン・ロバーツを通じて伝えたメッセージの中核をなす概念です。
 しかし、この言葉の本当の射程が、私たちの個人的な願望実現だけに留まらないとしたら、どうでしょうか?

 もし、私たちの思考や感情、心の奥底にある信念が、自分自身の健康状態はもちろんのこと、社会を揺るがす「流行病」や「自然災害」、さらには「戦争」といった、抗いようのない巨大な出来事(マス・イベント)にまで深く関わっているとしたら…?

 この衝撃的な視点を提示するのが、今回から3回にわたって解説する『セスブック:個人と大規模イベントの本質』です。
 本書は、個人の内なる世界と、私たちが経験する外側の世界が、いかにして分かちがたく結びついているのかを、驚くべき明晰さで解き明かしていきます。

 世界が大きな変動の渦中にある今だからこそ、このセスの叡智は、私たち一人ひとりが自らの人生の、そして世界の共同創造者としての力を取り戻すための、かつてないほど重要な羅針盤となるはずです。

 前編となる今回は、まず私たちの最も身近な現実である「身体」と「健康」に焦点を当てます。
 病気や流行病は、本当に外部からやってくるだけの「偶然の産物」なのでしょうか?
 セスが解き明かす、集合意識が物理的な現実を創造する驚くべきメカニズムの深淵へ、一緒に探っていきましょう。

 本ブログの内容をラジオ形式の音声化したものです。
 文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。

目次

なぜ個人の意識が世界を動かすのか?

 セスが伝えるメッセージの根幹には、常に「あなたはあなた自身の現実を創造する」という原則があります。
 これは、単なるポジティブシンキングのスローガンではありません。
 私たちの意識、思考、感情、信念、そして心の奥底にある期待が、量子物理学が示唆するように、文字通りエネルギーとして働き、私たちの経験する物理的な現実を形作っている、という宇宙の根本的な仕組みを指しています。

 思考は頭の中だけで完結する抽象的なものではなく、それぞれが固有の振動数を持つエネルギーなのです。
 この内なるエネルギーの状態が、まるで磁石のように、その周波数に共鳴する出来事や状況を物理的な現実へと引き寄せます。

 多くの人はこの法則を、個人の成功や幸福を引き寄せるためのツールとして捉えてきました。
 しかし、『個人と大規模イベントの本質』において、セスはこの法則を個人レベルから社会、そして世界レベルへと大きく拡張します。

 彼は、私たち一人ひとりの内面で育まれた思考や信念のエネルギーが、互いに共鳴し、混ざり合い、増幅されることで、一つの巨大な「集合意識」の潮流を形成すると言います。
 そして、その潮流が物理的な現実として結晶化したものが、他でもない、私たちがニュースで目にするような大規模な出来事なのだ、と。

 本書を読むことで、私たちはこれまで「自分にはどうすることもできない」と諦めていた世界の出来事と、自分自身との間に、切っても切れない深いつながりがあることを発見します。

 例えば、広範囲にわたる経済的な不安感(内なる状態)が、株価の暴落(外なる出来事)として現実化したり、社会に蔓延する不信感や敵意が、政治的な分断や紛争へと発展したりするのです。

  • なぜ特定の時代に、特定の病気が流行するのか?
  • なぜ自然災害は、特定の地域を襲うのか?
  • なぜ社会は、時として熱狂やパニックに飲み込まれるのか?

 これらの問いに対して、セスは「原因はあなたの外側だけに存在するのではない」と断言します。
 彼は、これらの出来事が、多くの人々の内面に共通して存在する「絶望」「無力感」「恐怖」「怒り」といった感情や信念が物理的に具現化したものであることを、様々な角度から論理的に解説していくのです。

 これは、私たちが集合的な現実に対して持つ、これまで気づかなかった創造力と責任に光を当てるための、深遠な洞察です。

 パンデミック、気候変動、社会の分断、経済不安…。

 私たちは今、まさに「大規模イベント」の時代を生きています。
 多くの人が、先の見えない未来に対して無力感や不安を感じているかもしれません。
 日々報道されるニュースに触れるたび、自分は巨大な波に翻弄される小舟に過ぎないと感じてしまうのも無理はないと思います。

 しかし、本書は私たちに全く新しい視点を提供します。
 それは、「私たちは決して無力な犠牲者ではない」という視点です。

 私たちは、この世界の現実を創造しているパワフルな共同創造者の一人なのです。
 この視点の転換は、「物事は私に起こる(I am a victim)」という受け身の姿勢から、「物事は私を通して起こる(I am a co-creator)」という能動的な姿勢へのシフトを意味します。
 これは運命や偶然に身を委ねるのではなく、自らが現実創造のプロセスに積極的に関与していることを認める、力強い宣言です。
 
 この真実を知ることは、私たちを無力感から解放し、自らの思考と感情に責任を持つ勇気を与えてくれます。
 日々の思考や感情を意識的に選択し、恐怖や無力感ではなく、希望や信頼、そして愛に根差したエネルギーを世界に送り出すことが、ひいては世界全体をより良い方向へと変えるための、最も確実で力強い第一歩となることを教えてくれるのです。

病気や流行病は「偶然」ではない – 集合意識が創り出す現実

 本書の冒頭で、セスは最も衝撃的かつ重要なテーマの一つである「病気」と「流行病」の本質に切り込みます。
 現代医学が解明しようと努める生物学的な原因、すなわちウイルスや細菌の存在を、セスは決して否定しません。

 しかし、彼はそれらが「運び屋」に過ぎないと言います。

 本当の原因は、もっと深いレベル、私たちの精神と意識の領域に存在しているのです。

 セスによれば、大規模な流行病が発生する背景には、常に広範囲にわたる心理的な土壌が存在します。
 それは、多くの人々が共有する、以下のような精神状態です。

  • 絶望と無気力
     社会や人生に対して深い絶望を感じ、生きる気力を失っている状態。
  • 無力感
     自分たちの行動では何も変えられないという、深い無力感。
  • 社会への抗議
     抑圧的な政治体制や不公平な社会状況に対する、声なき、しかし強烈な抗議の意思。

 これらのネガティブな精神状態は、単なる「気分の問題」では終わりません。
 セスは、これらの感情が身体の化学的性質を文字通り変化させ、免疫システムという身体の防御機能を著しく低下させると述べます。
 持続的なストレスや絶望感は、コルチゾールのようなストレスホルモンを過剰に分泌させ、免疫細胞の働きを直接的に抑制します。
 これは、現代の心身医学(psychosomatic medicine)が科学的に証明しつつある事実とも符合します。
 つまり、私たちの心は、最も微細な細胞レベルに至るまで、身体のあらゆる機能と密接に連携しているのです。
 心が希望を失うとき、身体もまた、その生命力を維持するための戦いを放棄し始めるのです。

 その結果、普段であれば全く問題にならないような、体内に常に存在するウイルスや細菌が活性化し、病気を引き起こすのです。
 ウイルスが先に存在して病気を引き起こすのではなく、多くの人々の「病気を受け入れる準備ができた」という心理状態が先に存在し、それがウイルスを「招待」し、活性化させる、という驚くべき順序をセスは提示します。

 この視点に立てば、流行病とは、単なる医学的な問題ではなく、その社会が抱える深い心理的な病理が、身体というスクリーンに投影されたものだと言えるでしょう。

「流行病の問題は、例えば、生物学的な観点だけでは答えられない。それには、多くの人々の側にある、広範囲にわたる心理的な雰囲気が関わっており、関係者のニーズや願望を満たすものなのだ。」  (セスブック『個人と大規模イベントの本質』より)

 セスは、この心理的な伝染を「サイキックな伝染(psychic contagion)」と呼びます。

「絶望は、蚊や他のどんな外的キャリアよりも速く移動する。その精神状態は、あなたの言葉で言えば『潜伏している』ウイルスを活性化させるのだ。」    (セスブック『個人と大規模イベントの本質』より)

 絶望感や無力感は、目に見えないエネルギーとして人々の間を伝播します。
 特に、政治的・社会的な行動が失敗に終わったり、希望が見えない状況下で、このサイキックな伝染は加速します。
 人々は、外的な行動が無意味だと感じると、そのエネルギーを内側へと向け、自らの生命力を攻撃し始めるのです。

 歴史を振り返れば、大規模な疫病(例えばペスト)が、戦争や飢饉、圧政といった社会的な混乱期に発生してきた事実は、このセスの理論を裏付けているようにも見えます。
 それは、多くの人々が生きる希望を失い、その集合的な絶望が物理的な病気として現れた、壮大な「社会の声明」だったのかもしれません。

 本書の中で最も論争を呼ぶであろう概念が、
 「死にたいと望まない限り、いかなる病気や災害、殺人者の銃弾でさえも、人を殺すことはできない
というセスの言葉です。

 これは、自殺を肯定したり、被害者を非難したりするものでは決してありません。
 私たちの存在の最も深いレベル、魂のレベルでは、生きることも死ぬことも、自らの意志によって選択しているという事実です。
 これは、神との対話シリーズの『神へ帰る』の死の選択に対する概念と一致します。

  • 生きる目的の完了
     個人が、この人生で果たすべき目的を達成したと感じた時。
  • 霊的・心理的成長のため
     肉体という枠組みを超えて、さらなる成長を遂げるために、自ら死を選択する場合。
  • 人生の特定の側面だけを経験する意図
     例えば、母親に「出産」の経験を与えるためだけに生まれ、幼少期に人生を終えることを計画してくる魂もいる。

 私たちは通常、死を「生の終わり」「敗北」と捉え、恐怖の対象とします。
 しかし、セスの視点では、死は魂の旅における自然な移行であり、霊的・心理的な成長にとって不可欠なプロセスなのです。

 流行病や災害は、この「死にたい」という個々の内なる決断をした人々にとって、その目的を果たすための「社会的に受容可能な理由」や「面目を保つための装置」として機能する場合がある、とセスは指摘します。
 彼らは無意識のレベルで、自らの死が集団的な抗議や問題提起として意味を持つことを理解し、その大規模イベントに「参加」することを選択するのです。

 セスは、現代の予防医学、特にワクチン接種やメディアによる健康キャンペーンに対して、鋭い洞察を投げかけます。
 彼はその有効性を部分的には認めつつも、その根底にある思想がもたらす、より深刻な問題点を指摘します。

 テレビや新聞で繰り返し報道される病気の恐ろしい症状や統計データは、私たちの意識に絶えず「病気の恐怖」を刷り込みます。
 これは、セスに言わせれば、病気を誘発するための「ネガティブな集団瞑想」に他なりません。

 私たちは、「身体は脆弱で、常に外部からの脅威に晒されている」という信念を強化させられます。
 そして、その恐怖に焦点を合わせることで、皮肉にも、まさにその病気を自らの現実へと引き寄せてしまうのです。

「あなたの現在の予防医学の考え方は、それゆえに、病気を引き起こすまさにその種の恐怖を助長する。それらはすべて、個人の身体的な安心感を損ない、ストレスを増大させる一方で、身体に具体的で詳細な病気の計画を提供するのだ。」 (セスブック『個人と大規模イベントの本質』より)

 セスは、身体が本来持っている自然な防御機能と自己治癒能力への信頼を取り戻すことの重要性を強調します。
 恐怖ではなく、信頼と安心感こそが、真の健康を維持するための最も強力な「ワクチン」なのです。

 では、恐怖や不信ではなく、信頼に基づいて生きるとは、具体的にどういうことなのでしょうか?
 セスは、その答えが私たち自身の「身体」と、私たちが一部である「自然」との関係性の中にあると語ります。

 私たちは、自分の身体をまるで機械のように考えがちです。
 故障すれば医者という名の整備士に修理してもらう、自分ではコントロールできない乗り物のように。
 
 しかし、セスは、私たちの身体が、そしてそれを構成する一つひとつの細胞が、驚くべき叡智と意識を持っていると断言します。

 切り傷が自然に塞がるプロセスを考えてみてください。

 そこでは、血小板が集まり、フィブリンが網を形成し、白血球が細菌と戦い、新しい皮膚細胞が再生するという、何百万もの細胞による精妙で知的な共同作業が、私たちの意識的な指示なしに完璧に遂行されます。
 発熱もまた、体温を上げることでウイルスの増殖を抑え、免疫細胞の活動を活発にするという、身体の高度な防御戦略なのです。

 私たちの心臓が鼓動し、肺が呼吸し、無数の細胞が協調して生命活動を維持しているこの奇跡的なプロセスは、すべて「自動的に」行われています。
 この生命活動の根底には、セスが「生物学的な誠実さ(biological integrity)」と呼ぶ、生命そのものへの深い信頼と肯定が存在します。
 これは、すべての生命体に内在する、自己を維持し、成長させ、全体と調和しようとする根源的な衝動です。

 身体は、本来、健康であることを望んでいます。
 そして、外部環境の変化に対応し、病気を癒し、バランスを保つための完璧なシステムを内蔵しているのです。
 問題は、私たちの「意識的な心」が、この身体の叡智を信じられず、絶えず恐怖や疑念というノイズを送り込んでいることにあるのです。
 慢性的な心配や不安は、身体を常に「闘争・逃走モード」に置き、自然な治癒や修復が行われる「休息・消化モード」への移行を妨げます。
 この不信こそが、身体の驚くべき自己調整能力を妨げる最大の障害なのです。

セスは、この「生物学的な誠実さ」の完璧な手本として、動物たちの姿を挙げます。

「動物は、自らの生物学的な誠実さの感覚を持っている。…(中略)…彼らは危険の兆候が身近な環境に現れていないとき、危険を予測したりはしない。彼ら自身の力では、予防医学を必要としないのだ。」 (セスブック『個人と大規模イベントの本質』より)

 動物たちは、自らが自然の一部であることを疑いません。
 彼らは自分の衝動と直感を信頼し、それに従って行動します。
 空腹を感じれば食べ物を探し、危険を感じれば身を隠し、休息が必要であれば眠る。
 彼らの行動には、人間のような「こうすべきだろうか」「ああすべきだろうか」という迷いや自己批判はほとんどありません。
 彼らは未来を過度に心配したり、過去を悔やんだりしません。
 彼らはただ、「今、ここ」の現実に完全に応答して生きています。
 森の鹿は、昨日の捕食者の影に怯え続けたり、明日の食料を心配し続けたりはしません。彼らは今この瞬間の風の匂いや物音に完全に注意を払い、その情報に基づいて行動します。

 この自然との一体感、そして自らの存在への絶対的な信頼こそが、彼らの生命力を支えているのです。
 私たち人間もまた、この生物学的な遺産を受け継いでいます。
 
 いわゆる「直感」や「胸騒ぎ」といった感覚は、この遺産の現れです。

 それは、論理的な思考を超えた、全体性を瞬時に把握する身体の叡智の声なのです。
 しかし、私たちはいつしか、そのつながりを忘れ、自らを自然から切り離された孤独な存在だと考えるようになってしまいました。

 セスは、この断絶の主な原因が、私たちの社会を支配する『歪んだ信念体系』にあると指摘します。

 この『歪んだ信念体系』とは、ある文化や社会の成員が共有する、現実を解釈するための根源的な物語であり、しばしば無意識のうちに私たちの思考や行動を規定する、強力なパラダイム(思考の枠組み)です。

 これらの信念は、あまりにも深く私たちの文化に浸透しているため、私たちはそれを客観的な真実と見なし、疑うことさえしません。

  • 宗教
     多くの宗教、特に西洋の主要な宗教は、身体を罪深く、魂の牢獄と見なすことで、私たちは自らの肉体性を軽蔑し、自然な欲求を抑圧するようになりました。
     食欲、性欲、休息への欲求といった生命維持に不可欠な衝動でさえ、「克服すべき誘惑」と見なされ、罪悪感と結びつけられました。
     この身体と魂の二元論は、私たちが自分自身の中に深い分裂を抱える原因となったのです。

  • 科学(ダーウィニズム)
     生命を冷徹な生存競争の産物、「適者生存」の法則が支配する世界と見なすことで、私たちは自然を敵と見なし、他者を打ち負かすべき競争相手と考えるようになりました。
     この見方は、協力、共生、愛といった、生命のもう一つの重要な側面を覆い隠してしまいました。
     自然は征服すべき対象となり、私たちはその一部であるという感覚を失ったのです。

  • 心理学(フロイト)
     人間の心を、抑圧された暗い衝動(エディプスコンプレックスなど)が渦巻く危険な場所と見なすことで、私たちは自らの内面を恐れ、自発的な感情や衝動を信頼できなくなりました。
     無意識は、いつ暴発するかわからない「敵」となり、理性(エゴ)によって常に監視・管理されるべき対象とされたのです。
     これにより、私たちは自らの感情の自然な流れを堰き止め、自発性を失ってしまいました。

 これらの信念は、私たちから「自分は本来、善良で価値ある存在であり、宇宙と調和している」という最も根源的な感覚を奪い去りました。
 その結果、私たちは自らの身体を信頼できず、自然な衝動を恐れ、常に外部の権威(医者、専門家、政府)に判断を委ねる、無力な存在になってしまったのです。

まとめと中編への予告

 今回の前編では、セスブック『個人と大規模イベントの本質』の序盤部分を基に、私たちの最も身近な現実である「健康」と「病気」が、いかにして個人の、そして集合的な信念や感情によって創造されているかを見てきました。

【前編の要点】

  • 流行病は心理的な現象
     多くの人々の絶望や無力感が、身体の防御機能を低下させ、ウイルスを活性化させる。
  • 死は魂の選択
     私たちは存在の深いレベルで、自らの死のタイミングと目的を選択している。
  • 恐怖は病を創る
     予防医学やメディアが煽る恐怖は、「ネガティブな集団瞑想」として機能し、かえって病気を引き寄せる。
  • 身体と自然を信頼する
     私たちの身体は本来、健康を維持する叡智を持っており、その力を取り戻す鍵は、動物のように自らの衝動と自然とのつながりを信頼することにある。

 私たちの内なる世界が、これほどまでにパワフルな創造力を持っているという事実は、衝撃的であると同時に、大きな希望を与えてくれます。
 私たちは、自らの健康と人生の舵を取り戻すことができるのです。

 しかし、ここである疑問が浮かび上がります。

 では、その現実は一体「どこで」、そして「どのように」して創られているのでしょうか?
 私たちの思考や感情は、どのようにして集まり、設計図となり、物理的な出来事として現れるのでしょうか?

 中編では、この壮大な謎を解き明かすため、さらにセスの世界の深淵へと分け入っていきます。

 テーマは、私たちの世界観そのものを規定している**「神話」、そして、すべての現実の設計図が描かれるという、創造の源泉である「内なる世界」**です。

ブログを読んで、さらに見識を深めたいと思ったら、ぜひ本書を手に取ってみてください。
本書は英語版のみとなります。

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