セス『知られざる現実 第1巻』前編:意識の基本と多次元世界

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 このブログ記事は、チャネラーであるジェーン・ロバーツを通して語られた非物質の存在セスによる書籍、『知られざる現実 第1巻』の内容をまとめたものです。
 現在、この書籍の日本語に翻訳されたバージョンは発売されていません。
 そのため、この記事は英語版の書籍を基に作成しています。

 ジェーン・ロバーツと夫のロバート・F・バッツによって記録されたセス資料は、意識の性質、現実の構造、魂の探求といった深遠なテーマを扱っており、世界中で多くの読者に影響を与えてきました。

 このブログ記事では、貴重な『知られざる現実 第1巻』のテキストを基に、その核心にあるメッセージをお届けします。
 前編となるこの記事では、まず、セスが語る意識の基本単位(CU)という概念や、私たちが普段認識している物理現実の他にも存在する多次元的な世界、そして写真や夢といった身近なものを通してこれらの壮大な概念がどのように示されるのか、その入り口を探求していきます。

セス『知られざる現実 第1巻』の内容の要約をNotebookLMで日本語音声化した内容です
目次

写真が語る秘密:可能性のある現実

私たちの日常には、意識と多次元世界の秘密への手がかりが隠されています。

写真と多次元的な自己

選ばれなかった現実のイメージ

 ジェーンの夫であるロバートは、自身とジェーンそれぞれの子供時代の写真を見つめている時、ある深い思索にふけりました。
 同じようなサイズで、まるで同じ時に撮られたかのように古びた二枚の写真ですが、ロバートの写真はジェーンのものより20年も前に撮られたものです。
 それぞれの写真に写る幼い自分が選んだ人生の道、つまり私たちが知っている「現実」の道筋については理解しています。
 しかし、写真に写るその瞬間から、私たちが選ばなかった無数の他の道、可能性のある自己が歩み始めた道のりはどうなっているのだろうか?という問いが彼の心に浮かんだのです。

可能性の道筋:選ばれなかった現実

 セスは、この写真を通して可能性の概念を説明します。
 私たちは誕生に先立つ無意識のレベルで、人生で遭遇する状況を十分に認識しており、それらを選び取り、時間のメディアへと前もって映し出しています。
 しかし、これらの状況は、ある意味で「設定」されていますが、別の意味では非常に柔軟であり、そこから無数の可能性のある出来事が派生するのです。
 セスによれば、写真に写るその子供は、後に続く人生の全体的な興味や関心をすでに認識していましたが、具体的な道のりはまだ選択されていませんでした。
 そして、写真の中のジェーンがたどったであろう道は、私たちが知るジェーンがたどった道とは異なり、別の可能性の世界で展開されています。
 それぞれの可能性のある自己は、独自の旅を続けているのです。

 写真というものは、ある特定の一瞬に焦点を合わせた自己の姿を捉えたものですが、それは無数の可能性のある「スナップショット」の一つに過ぎません。
 私たちが認識する自己は、この特定の可能性の世界に現れ、その経験を通して独自のアイデンティティを確立しますが、同時に他の可能性のある自己もまた、それぞれの現実で存在し、互いに影響を与え合っています。
 
 このように、私たちの身近にある写真一つをとっても、無数の可能性のある現実への扉が開かれているのです。
 これは、ある瞬間の思考や選択が、その思考や選択に対応する異なる現実(パラレルワールドや並行現実とも呼ばれます)を創造し、それぞれの現実が同時に存在するという概念にも通じます。

意識の基本単位(CU)とEE単位

 セスは、私たちが知る物理現実や、さらには多次元的な現実すべてを構成する根源的な要素として、「意識の基本単位(CU)」という概念を提示します。

CUとは:無限の可能性を秘めた単位

 CUは、かつて原子が最小単位だと考えられていたように、それ以上分割されない意識の基本的な単位ですが、物質的なものではありません。
 CUは、それ自体の中に無限の拡張、発展、組織化の特性を本質的に含んでいます。
 他のCUと組み合わさり、どのような組織の一部となっても、その固有のアイデンティティが消滅することはありません。
 CUは自己として認識する意識エネルギーであり、あらゆる種類の意識の源であり、その活動のバリエーションは無限です。
 これはアシュタールが話す、宇宙の根源的な「すべてなるもの」や「絶対無限の存在」から分けられた、一人ひとりの「個性のエネルギー」や「魂」のようなものだとイメージできるかもしれません。

予測不可能性の力

 この基本単位には、「予測不可能性」が備わっています。
 この予測不可能性こそが、無限のパターンと充足を可能にしています。
 いかなる波動、粒子、あるいは存在の動きも、基本的に予測不可能であり、自由奔放で決定されていません。
 私たちの人生の構造、そして心理的な構造もまた、この予測不可能性の結果なのです。
 個々の「思考エネルギー」が現実を創造し、すべてを決定するという別の概念と同様に、私たちの意識や思考が、この予測不可能な可能性のフィールドの中から、体験する現実を選択し、創造していると考えることもできます。

EE単位と物理現実の創造

光と粒子

 EE単位は、このCUが物理構造に近づくにつれて形成される、エネルギーの活性化段階、つまり『閾値点(いきちてんある反応や現象が起こるための最小限の値や、境界となるポイントのこと』を表しています。
 CUとEE単位の絶え間ない流れと組織化が、私たちの知る物理現実、原子、分子、細胞、そして私たちの体を形作っています。
 CUは、最も小さな物理的粒子さえも存在し始める前に、組織化の特定の強度を構築します。
 これらの単位は、私たちが「心」と考えるものを形成し、その周りに「脳」の構造が形成されるのです。

 CUは脳全体に浸透しています。

 これは、意識エネルギーが「思考エネルギー」によって刺激され、振動数を遅くして物質として固まる、あるいはエネルギーが絶えず振動する「波動エネルギー」として存在し、それが物理世界を形作るという比喩で理解を深められるかもしれません。

すべてはCUの中に存在する

 CUはあらゆる形態をとることができ、物理物質の根源的なレベルに存在します。
 そして、驚くべきことに、これらの単位は空間や時間の枠組みの外にも存在し、すべての場所・時間に同時に存在しているのです。
 私たちがまとまりのある現実を認識できるのは、この予測不可能性を持つCUの、ある特定の組織化の結果なのです。
 統計や数学は、この根源的な予測不可能性の上に構築された、現実を理解するための私たちの枠組みに過ぎません。
 直線的な時間や空間は幻想であり、「今ここ」にすべてが存在するという視点から見ると、CUがすべての場所・時間に同時に存在するというのは、自然なことと言えるでしょう。

予測不可能性こそが現実の源泉

 私たちは、予測可能な法則に支配された世界に住んでいると考えがちです。
 しかし、セスは、私たちが知覚する秩序だった現実は、その根源にある「予測不可能性」から生まれると説明します。

「すべてなるもの」の自由と予測不可能性

 セスによれば、意識が完全に自由であるためには、予測不可能性が備わっている必要がありました。
 これは、「すべてなるもの」(バシャールは「オール・ザット・イズ」と呼びます )が、自身を驚かせ、常に新しさを体験するために、自らに与えた自由の結果なのです。
 この基本的な予測不可能性は、あらゆるレベルの意識と存在に浸透しています。

予測不可能性から生まれる秩序

予測不能のエネルギーのイメージ

 私たちの生物的な構造、例えば細胞の振る舞いも、この予測不可能性の基盤から生まれています。
 予測不可能性は混沌を意味するのではなく、そこから無限の多様な秩序、または秩序あるシステムが誕生するのです。
 セスは、予測不可能性こそが、最も偉大な可能性のある秩序の源泉であると強調します。
 私たちが日常生活で経験する「秩序だった行動」も、実は夢という「混沌としたベッド」から生まれているとセスは指摘しており 、これは予測不可能性と日常の関連を示す興味深い視点です。

 私たちが現実において予測可能性を認識できるのは、その現実のほんの一部に焦点を当てているからに過ぎません。予測不可能性は、あらゆる存在のユニークさを保証し、事前に決定された動きとは対極にある性質なのです。

夢が解き明かす多次元世界の片鱗

私たちが眠っている間に体験する夢は、単なるランダムな情報の寄せ集めではありません。

セスは、夢が多次元的な現実への扉を開き、可能性の世界を体験するための重要な手段であると語ります。

夢の中の並行現実体験

夢と並行現実

夢の中では、私たちは様々な可能性のある出来事に慣れ親しむことができます。
問題を解決するために、夢の中で異なるアプローチを試すことも可能です。

通常の覚醒状態では、私たちの焦点は直線的な時間と物理的な出来事に向けられていますが、夢の状態では、並行して存在する出来事に注意を向けることができるのです。

バシャールが「並行現実」と呼ぶように、夢を通して、私たちは無数の可能性のある現実の一端を垣間見ることができるのです。

夢:現実創造の青写真

 セスは、夢の状態が可能性のある自己と可能性のある存在の間で情報が交換される豊かなコミュニケーション網として機能すると述べています。

 夢の中で、私たちは主観的な「写真」を撮り、物理的な現実として体験したい出来事を選択することができると考えることもできます。

 この意味で、夢は私たちが後に物理世界で体験する出来事の「青写真」となるのです。

夢の多次元性と内なる活動

 私たちが覚醒時に認識する現実は、多次元的な夢の状態から生まれる創造性の尽きない源泉から多くのエネルギーを引き出しています。

 夢のイメージは、物理的な写真のように固定されたものではなく、独自の動きとダイナミズムを持っています。

 セスによれば、「ドリームワークス」とは、夢の物質化プロセス、つまり宇宙自体が客観的な現実として現れるプロセスと同じものです。
 これは、夢が単なる内的な体験ではなく、現実創造の活発な活動である1つの証と言えるでしょう。

 私たちが夢を曖昧で不明瞭だと感じることが多いのは、覚醒時の「物理現実こそが現実」という偏った視点から夢を判断しているためです。

 しかし、夢の状態もまた、覚醒状態と同様に有効な意識の状態なのです。
 セスは、原子や分子さえも夢を見ていると示唆しており、これは夢が単に人間の心理活動に留まらない、宇宙の根源的な活動と繋がっている可能性を示しています。

内なる感覚と意識の拡張

 私たちが物理現実を知覚するために五感を使っているように、私たちの内側には「内なる感覚」と呼ばれる別の知覚能力が存在します。
 セスは、この内なる感覚に気づき、意識を拡張することが、自己と現実のより深い理解につながると説きます。

内なる感覚とは

内なる覚醒

 内なる感覚は、私たちが通常意識しない多次元的な現実や、時間や空間を超えた情報を知覚するための拡張された能力です。

 セスによれば、これらの感覚は物理的な五感のように歪めることなく、現実を直接把握することができます。

 ジェーンは、セスのガイダンスを通して、体積が大きくなるような感覚(「組織カプセルの拡張または収縮」と呼ばれる内なる感覚の一つ)を体験しており、これは内なる感覚が私たちの肉体的な知覚にも影響を与えうることを示しています。

細胞の「予測認識」と神経系の秘密

 セスの驚くべき洞察の一つは、私たちの体を作る細胞が未来の出来事を「予測認識」する能力を持っているということです。
 細胞の神経構造は、過去と未来のデータにも応答しており、この能力によって細胞は無数の可能性のある現実を航行し、私たちの体を現在の物理的なバランスに保っています。
 私たちが抱く直感や予感といったものは、細胞が知覚した未来や過去の情報が心理活動として現れたものである可能性があるとセスは示唆しています。

意識の拡張と「脳の未使用領域」

 私たちは、特定の神経学的メッセージのみを「現実」として受け入れるように訓練されており、これが他の有効な情報に対する「神経学的偏見」を生んでいます。

 セスは、意識拡張のための練習(プラクティス・エレメント)を行うことで、この偏見を克服し、通常は認識されない他の神経学的パルスを認識し、可能性のある現実を垣間見ることができるようになると提案しています。

 これは、単なる概念的な理解に留まらず、生物学的にも新しい扉を開く可能性があるのです。

 セスは、私たちの意識はまだ半分も発達しておらず、脳の未使用領域が活性化されることで、意識は現在私たちが盲目的に頼っている予測可能性の豊かな基盤に気づくことができると述べています。

 目覚めつつある内なる知識は、理性を否定するのではなく、意識的な統合によって組織化されるべきであり、そうすることで、私たちは自己の全体性と、自然環境との大きなつながりを理解できるようになるのです。

 物理的な探求だけでなく、自身の内なる主観的現実を探求することが、私たちの意識を拡張し、より豊かな現実を体験するための鍵となるのです。

意識拡張のための練習(プラクティス・エレメント)

 セスは、内なる感覚を研ぎ澄まし、意識を拡張するための具体的な練習方法として、いくつかのプラクティス・エレメントを提案しています。
 これらの練習を通して、普段認識しない多次元的な現実や自己の側面を体験することができます。

  • プラクティス・エレメント1:
      過去の特定の情景を選び、その時選び取らなかった別の可能性がどのように展開したかを想像する練習です。
     情景の変化や感覚が、別の可能性を垣間見る手がかりとなります。
     特に重要な選択をした場面で効果的です。
  • プラクティス・エレメント2:
     その日に起こった出来事を一つ取り上げ、それが起こりえた無数の可能性の中から現れたものとして捉え、過去からの繋がりや可能性のある未来への展開を追います。
     また、その出来事に関わった他の人の視点から同じ出来事を見る練習も含まれます。
  • プラクティス・エレメント3:
     自分の写真を見て、それを可能性のある別の写真が撮られたかもしれない下位次元から現れた、特定の時点の自己の姿として見る練習です。
     写真に写る自分の特徴の中に、他の可能性に属する側面を感じ取ろうとします。
  • プラクティス・エレメント4:
      異なる年齢の自分の写真を複数見て、それぞれの写真が示す自己の道筋を比較し、自分が選択しなかった道(可能性のある自己が選んだ道)を辿ります。
     もし追求したい道が見つかれば、現在の人生にどう取り入れるか考えることで、可能性の交点を生み出すことができます。
  • プラクティス・エレメント5:
     自分の写真を、特定の空間と時間に存在する「種としての代表者」として見る練習です。写真の他の要素を自分自身に属する拡張された特徴として捉え、写真のフレームを「時間の檻」に見立てて、その外から自分を見るという視点も含まれます。
  • プラクティス・エレメント6:
     家族の祖先、自分、子供たちを、それぞれ異なる時間や空間を旅する一つの部族のメンバーとして想像する練習です。時間と空間を超えた家族やつながりを意識します。
  • プラクティス・エレメント7:
     自分の集合写真を見て、写っている人々の当時の感情的な現実や、写真には写っていない他の人々との関係性、そしてその写真に写る人々が集まるまでにそれぞれが選択し、あるいは選択しなかった可能性のある行動や出来事を考察します。
  • プラクティス・エレメント8:
     意識的な気づきの瞬間を「道」と見なし、そこに収束する他の多くの道を想像し、その一つを心の中で辿る練習です。
     これは異なる方法で意識を使い、焦点を別の方向に向けることです。

まとめ:多次元世界に開かれたあなたの意識

 この記事では、写真から可能性のある現実を知り、意識の基本単位(CU)と予測不可能性が世界の根源であることを学びました。
 夢は多次元世界への扉であり、現実創造の場であること、そして内なる感覚が隠された情報を伝えています。
 セスは、私たちの意識がすでに多次元世界に開かれており、自己の可能性は広大だと語ります。
 そして、意識拡張のための練習(プラクティス・エレメント)は、心の中のイメージや空想といった活動が、実は意識を拡張し、可能性に気づくための意図的な練習となりうることを示唆します。

 私たちが知覚する現実は、無数の可能性から意識が選択した結果です。

 ↓↓続くパート2では、この内なる世界をさらに深く掘り下げ、現実創造の内なる科学を探求します。↓↓

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