前編では、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神へ帰る』を紐解きながら、私たちが抱く「死」への恐れを手放し、それを魂の新たな旅の始まりとして捉える視点を探求しました。
死は終わりではなく、私たちの意志と深く関わる創造行為である可能性、そして真実は常に内側にあること。
さて、この【後編】では、いよいよ魂の旅の核心へと足を踏み入れていきます。
前編で築いた土台の上に立ち、『神へ帰る』が示す、さらに驚くべき深遠な世界――「究極の現実」と、すべての魂が経験するという「聖なる審問」――を探っていきます。


死の三段階とアイデンティティの再確立
『神へ帰る』によれば、私たちが「死」と呼ぶプロセスは、単なる終わりではなく、魂が自らのアイデンティティを再確立するための重要な段階を経て進んでいきます。
神はこのプロセスを大きく三つの段階に分けて説明しています。
第一段階:身体からの解放

肉体的な死の瞬間、魂はまず自分がもはや身体の中にいないことに気づきます。
それは驚きかもしれませんが、苦痛ではありません。
そしてすぐに、生命が終わったわけではないことを理解します。
身体は自分が所有していたものではあるけれど、自分自身ではなかった、ということを明確に認識するのです。
これは、物質的な制限からの最初の解放のステップです。
第二段階:信念が創る現実
次に魂は、自らが死後の世界について抱いていた信念に基づいた現実を経験します。
- 天国や愛する者との再会を信じていた場合:
その通りの温かく喜びに満ちた体験をするでしょう。天使や先に旅立った愛する魂たちが迎え入れ、導いてくれるかもしれません。 - 地獄や審判を信じていた場合:
その信念に基づいた世界を一時的に経験するかもしれません。しかし、神は「地獄は存在しない」と断言しており、この経験には実際の苦しみは伴いません。魂は自らが創造した幻想を客観的に観察し、やがてそれが現実ではないことに気づき、手放します。 - 輪廻転生を信じていた場合:
意識的な記憶にはなかった過去生(前世)の様々な瞬間を垣間見るかもしれません。 - 死後の「無」を信じていた場合:
一時的に何も存在しないかのような静寂を経験するかもしれませんが、永遠に続くわけではありません。愛する魂やガイドの助けによって、やがて目覚めるでしょう。
この第二段階では、魂はまだ精神(思考や信念)と自分自身をある程度同一化しています。
そのため、生前の信念体系が死後の最初の体験を形作るのです。
この段階は、魂が望むだけ続く可能性がありますが、いずれ次の段階へと移行します。
また、この段階では物理的世界との繋がりがまだ残っており、魂は愛する人々の元を訪れたり、メッセージを送ったりすることもあるとされています。
第三段階:「エッセンス」との合体

死のプロセスにおけるクライマックスが、この第三段階です。
魂は、個としての精神や信念への同一化を手放し、「光」あるいは「エッセンス」と呼ばれる根源的な存在と完全に溶け合います。
死において、あなたの個々のアイデンティティはすべて脱ぎ捨てられて、「あなたの」「あなたからの」「分離」はついに終わる。
『神へ帰る』より
これは、言葉では表現しきれないほどの至福と完全な受容、そして「ひとつであるもの」との一体感を経験する瞬間です。
すべての分離感が消え、魂は自分が身体でも精神でも魂(個としての)でもなく、それらすべてを超えた、創造の根源的なエネルギーそのものであることを知ります。
この「全面的な溶け合い」の中で、魂は真の自己、全的な自己を再認識するのです。
これは「死」がもたらす究極のアイデンティティの再確立と言えるでしょう。
時空を超える旅:宇宙の仕組みと多次元性
『神へ帰る』は、死後の探求にとどまらず、私たちが存在する宇宙そのものの仕組みについても、驚くべき視点を提示します。
時間と空間の真実:「アップルとオレンジ」の比喩

私たちは時間と空間を絶対的なものと考えがちですが、神はそれが幻想である可能性を示唆します。
本書では、「アップルとオレンジ」というユニークな比喩が用いられます。
- リンゴ(物理的世界):
私たちの宇宙、つまり物理的な現実をリンゴに例えます。
その皮が時間、中身が空間です。 - 微生物(私たち)の旅:
私たちはリンゴの中(物理的な時空間)を移動する極小の微生物のような存在です。 - 時間は動かない:
私たちが「時間」と呼ぶもの(リンゴの皮)は静止しており、動いているのは私たち自身です。
私たちは「時間の中」を旅しているのです。 - 自分の中を旅する:
さらに、私たち自身がリンゴ(宇宙)の一部であるとすれば、私たちは自分自身の内側を旅していることになります。
そして、この「リンゴ」の中心にある「芯」を通過してたどり着くのが、全く性質の異なるもう一つの現実です。
神はこれを、リンゴとは全く違う「オレンジ」に例えています。
これが「霊的な領域」、あるいは私たちが「あちら側」と呼ぶ世界であり、そこでは物理的世界の時間や空間の法則は通用しません。
この「アップル(物理的世界)」と「オレンジ(霊的領域)」という対比的な比喩は、二つの現実が連続したものではなく、死(芯の通過)によって移行する根本的に異なる次元であることを示唆しています。
この理解は、時間と空間、そして生と死に対する私たちの固定観念を覆す、重要な視点を与えてくれます。
「時間の回廊」と可能性の壁画
私たちが「時間の中」を旅する道のりは、「時間の回廊」として描かれます。
そして、その回廊の壁、床、天井には、無数の「壁画」が描かれています。
この壁画は、私たちの人生におけるあらゆる瞬間、あらゆる可能性を表しています。
あなたは「時間」のどの時点でも、通り過ぎるたびにその部分を描き加えることも、一部を消すことも、塗り重ねることも、色を変えることもできる。
好きなときに、好きなように描き直すことができるのだ。
『神へ帰る』より
私たちは過去の経験(壁画)を記憶し、未来(これから描く壁画)を選択しながら進みます。
重要なのは、私たちは単に壁画を眺めるだけでなく、思考、言葉、行動という「創造の道具」を通して、壁画そのものを描き変える力を持っているということです。
過去の出来事の解釈を変えたり、未来の可能性を新たに創造したりすることが可能なのです。
既視感(デジャヴュ)は、以前に通った回廊の同じ部分(あるいは少し違う部分)を再び訪れている感覚なのかもしれません。
多次元的な存在としての私たち

さらに本書は、私たちが認識している三次元世界が全てではないことを示唆します。
あなたは三次元の世界を経験するが、その世界に生きているわけではない。
『神へ帰る』より
私たちは多次元的な存在であり、「時空の連続体」と呼ばれる場には、無数の可能性、代替現実、並行宇宙が存在する可能性があります。
私たちは、その中から自らが経験したい現実を選択しているのかもしれません。
「あなた」——個別化されたすべて——であるあなたは、自らを多重に経験しているのだ。
一つどころかたくさんの場所にいられるし、実際にそうしているよ。
『神へ帰る』より
この考え方は、私たちの存在が決して線形的ではなく、想像以上に広大で複雑であることを示しています。
魂の進化と「聖なる審問」
死後の体験や宇宙の仕組みを理解した上で、魂はなぜ何度も肉体を持って生まれ変わり、進化し続けるのでしょうか?
そして、その移行期において最も重要な選択とは何なのでしょうか?
なぜ私たちは生まれ変わり続けるのか?
神は、魂の旅が「知ること」と「経験すること」のサイクルであると説明します。
- 霊的領域での「知」:
魂は「あちら側」(霊的領域)で、自らが神聖な存在であり、無限の可能性を持つことを「知り」ます。 - 物理的世界での「経験」:
しかし、「知る」だけでは不十分であり、それを実際に「経験」するために物理的世界(リンゴ)へと戻ってきます。 - 「核心」での統合:
物理的な生を終えると、魂は再び「自分の存在の核心」(リンゴの芯)でエッセンスと合体し、経験を通して得た理解と元々の「知」を統合します。 - 新たな創造:
そして、つぎにいだく最も偉大なヴィジョン(自分がどうありたいか)を再創造し、それを経験するために再び物理的世界へ、あるいは他の次元へと旅立つことを選択します。
この終わりのない創造と経験のサイクルこそが、魂の進化の本質であり、生命(神)が自らを表現し、知るためのプロセスなのです。
「聖なる審問」:究極の選択

死の第三段階、「エッセンスとの合体」と「人生の見直し」を経た後、すべての魂に究極の選択の瞬間が訪れます。
それが「聖なる審問」と呼ばれるものです。
神(あるいは魂自身の本質)は、優しく問いかけます。
「あなたはとどまりたいか?」
『神へ帰る』より
これは、霊的な領域にとどまるか、それとも、たった今終えたばかりの物理的な人生に「戻る」か、という選択です。
驚くべきことに、神は「死ぬひとのほとんどは、初めて死ぬのではない」と言い、多くの魂が、愛する者との関係を完了させたり、地上での目的を果たしたりするために、少なくとも一度は「戻る」ことを選ぶのだと示唆します。
完了と新たな旅立ち
もし魂が「聖なる審問」で「戻りたい」と答えれば、即座に死ぬ直前の瞬間に送り返され、人生を続けることになります。
これは、私たちが「奇跡的な回復」や「危機一髪」と呼ぶ出来事の背後にある真実かもしれません。
しかし、魂が自らの経験に「完了」を感じ、「進みます」と答えれば、その魂は霊的な領域への旅を続けます。
重要なのは、「完了しないまま死ぬ者は誰もいない」ということです。
もし魂が完了していないと感じて「戻る」ことを選んだ場合、それは厳密には「死ななかった」ことになる、あるいは代替現実へ移行する、と神は説明します。
死のタイミングと状況は、常に魂の計画にとって完璧なのです。
神へ帰る:永遠の生命と私たちの役割
『神へ帰る』の対話を通して、私たちは死が決して恐れるべきものではなく、魂の壮大で永遠のサイクルの一部であることを学びました。
最後に、この理解が私たちの生き方にどのような意味を持つのかを見ていきましょう。
あなたはわたしであり、わたしはあなたである

なんかこういう言葉を聞くと、ドラえもんのジャイアンのセリフを思い出しますね(笑)
さて、本書が繰り返し伝える最も根源的なメッセージは、私たちと神との間に分離はない、ということです。
わたしはあなたであり、ただあなたにわたしを思い出させているだけだ。
『神へ帰る』より
この対話も、神が私たちに何か新しいことを教えるのではなく、私たちが元々知っている真実を「思い出させる」ためのプロセスなのです。
この一体性の認識こそが、恐れや孤独から私たちを解放します。
今日の出来事を使って明日の約束を創造する
私たちが自らの現実の創造者であるならば、日々の経験を未来の創造に活かす力を持っています。
今日の出来事を使って、明日の約束を創造し、「いま」の経験を使って、「永遠」の驚異を生み出しなさい。
『神へ帰る』より
闇を嘆くのではなく、自らが光となり、世界を照らす存在になること。
私たち一人ひとりの思考、言葉、行動が、集合的な未来を形作っていくのです。
あなたがたは任命される必要はない
特別な資格や地位がなくとも、私たちは皆、神聖な役割を担っています。
あなたがたはこの世界で、聖職者に「任命される」必要はない。
あなたが生きているということは、神が聖職者に任命したということだから。
『神へ帰る』より
私たちは生きているだけで、神の愛と真実を体現するメッセンジャーなのです。
日々の暮らしの中で、他者に安らぎや癒し、気づきを与える機会は無限にあります。
『神へ帰る』と響き合う宇宙の叡智:アシュタール・セス・バシャールの視点
『神へ帰る』で展開される死生観や宇宙観は、非常に深遠で、時に私たちの常識を覆すものです。
しかし、興味深いことに、これらの概念は、他の様々な情報源、特にチャネリングなどを通して伝えられる高次元存在とされるアシュタール、セス、バシャールの教えと多くの点で響き合っています。
ここでは、彼らの主要な概念と『神へ帰る』の内容を照らし合わせることで、本書の理解をさらに深めるヒントを探ってみましょう。
共通する宇宙の根源と現実創造のメカニズム
『神へ帰る』で語られる、判断や分離のない愛そのものである「神」の概念は、他の存在たちが語る宇宙の根源と驚くほど似ています。
- アシュタールの語る「絶対無限の存在」は、判断も罰もなく、ただ「在る」という意識であり、すべての存在はその個性のエネルギーが分かれたもの(ワンネス)であるとされます。
- セスは、宇宙の創造主を特定の神格化された存在ではなく、「全ての意識の根源となる無限のエネルギー」であり、愛と創造性に満ちていると説明します。
- バシャールの言う「オール・ザット・イズ」もまた、すべてであり、決定や判断、罰することのない無条件の存在です。
また、『神へ帰る』が「視点が認識を創る」と述べるように、私たちの思考、信念、期待(観念)が現実に影響を与え、それを創造するという考え方は、セス、アシュタール、バシャールに共通する非常に重要な教えです。
私たちの内面が外面の世界を映し出しているというのです。
死生観:終わりなき移行と魂の選択

『神へ帰る』が死を「終わりではない」「神とともにあるわが家への帰還」「アイデンティティの再確立」と捉える視点は、彼らの教えとも一致します。
- アシュタールは、死を「自分で決める」ものであり、個性のエネルギーが広がり、最終的に絶対無限の存在へ戻るプロセスだと語ります。天国や地獄といった審判もないとしています。
- セスも、死は終わりではなく「意識が肉体を離れ、別の形態へと移行する自然なプロセス」であり、魂は成長のために転生を繰り返すと説きます。
- バシャールにとって、死は物質次元という「夢から覚める」ことであり、スピリットの状態こそが自然であるとします。死後も意識や記憶は残り、人生の「おさらい」は罰ではなく学びの機会だと語ります。
『神へ帰る』における「聖なる審問」での選択(とどまるか、戻るか)という概念も、これらの存在が語る「魂の選択」や「転生の計画」と通底していると言えるでしょう。
時間・空間・多次元性:幻想と「いま、ここ」
『神へ帰る』が「アップルオレンジ」や「時間の回廊」の比喩で示した、時間の非直線的な性質や多次元的な宇宙観も、他の存在たちの教えと共通しています。
- アシュタールは、「宇宙には直線的な時間はなく、過去・現在・未来は同時に存在する」とし、思考によってパラレルワールドへ移行できると語ります。
- セスもまた、「時間は同時に存在」し、「真の力は常に『今』この瞬間にある」と強調します。
- バシャールは、「時間と空間は幻想であり、すべては『今ここ』に存在する」とし、無数の「並行現実(パラレルリアリティ)」の存在を明確に述べています。
これらの視点は、『神へ帰る』で語られる「連続同時性」や、過去や未来を変えうる可能性といった概念の理解を助けてくれます。
普遍的な叡智への気づき
このように、『神へ帰る』で示される多くの重要な概念は、アシュタール、セス、バシャールといった異なる情報源からも語られており、驚くほどの共通性が見られます。
これは、私たちがアクセスできる宇宙の真理や叡智には、ある種の普遍性が存在することを示唆しているのかもしれません。
もちろん、それぞれの教えには独自の表現や焦点がありますが、根底に流れるメッセージ――「私たちは根源と繋がっている」「内面が現実を創る」「死は終わりではない」「愛と調和が本質である」――は共通しているように感じられます。
『神へ帰る』を読む際に、これらの異なる視点を参考にすることで、より多角的で深い理解が得られるのではないでしょうか。
まとめ:神とともに、永遠に – 普遍的な叡智への扉
『神へ帰る』との対話を通して、私たちは死後の世界、そして生命そのものに関する、想像をはるかに超えた壮大で希望に満ちたヴィジョンに触れることができました。
死は決して終わりではなく、魂が自らの真のアイデンティティを再確立し、神(エッセンス)と深く合一し、そして再び新たな創造と経験の旅へと出発するための、神聖な移行プロセスなのです。
時間や空間という枠組みさえも、私たちが慣れ親しんだものとは異なり、より流動的で多次元的な宇宙の中で、私たちは自らの思考、言葉、行動によって現実を創造し続ける力を持っていることが示されました。
そして何よりも、本書は繰り返し語りかけます。
私たちは決して根源なる存在から分離されたことはなく、常に「神とともにあるわが家」にいるのだ、と。
興味深いことに、本書で語られるこれらの深遠な概念――判断のない根源的な存在、思考による現実創造、死は移行であるという捉え方、時間の非線形性、魂の永遠性といったテーマは、私たちが今回触れたアシュタール、セス、バシャールといった他の高次元的な情報源とも驚くほど響き合っています。
『神へ帰る』、そして他の多くの叡智が指し示すように、私たちの本質は愛であり、光です。この旅を通して始まったあなた自身の内なる「神との対話」を、これからも大切に育んでいってください。
