これまでの旅路で、あなたは『もう一人の自分』の存在を知り、時空の常識を超える宇宙のOSに触れてきました。
もしかしたら、あなたの世界はもう、以前と同じものには見えていないかもしれません。
では、この壮大な知識を、私たちはどう生きればいいのでしょうか?
無数の可能性を知った今、あなた自身の人生という物語を、どう紡いでいけばいいのでしょう?
最終章となる後編は、その問いへの、セスからの最も深く、最も実践的な応答です。
視点は個人の内面から、人類という種が紡いできた、神話とDNAに刻まれた壮大な『魂の記憶』へと移ります。
忘れ去られた叡智を再発見し、あなたという存在の無限の可能性を完全に解き放つための扉を開きましょう。

本記事のラジオ形式の音声版をご用意いたしました。
文章を読む時間がない時や、リラックスしながら内容を深く味わいたい時などにご活用いただければ幸いです。


神話と伝説に隠された「確率的な人類史」という叡智

私たちが学校で学ぶ歴史は、化石や遺跡といった物理的な証拠に基づいた、一本の線として描かれます。
しかしセスは、その「公式の歴史」は、無数に存在した可能性の中から選び取られた、たった一つの「確率」に過ぎないと言います。
では、選ばれなかった他の人類史はどこへ消えたのでしょうか?
セスによれば、それらは消滅したのではなく、神話や伝説、そして私たちの無意識の奥深くに、「魂の記憶」として今も生き続けているのです。
人間と動物の意識が交差していた時代 – トーテムポールの真実

セスは、私たちの遠い過去において、人間と動物の意識が現在ほど明確に分かれていなかった時代があったと語ります。
それは、人間が動物から薬草の知識を学び、動物もまた人間の意識を理解していた、深いコミュニケーションが存在した時代でした。
トーテムポールとは、一般的に、北アメリカの先住民が大きな木(主に杉)に動物や神話上の生き物などの彫刻を施した、柱状の彫刻のことを指し、人間と動物の間にはるかに大きなコミュニケーションがあった時代からの名残です。
その時代の人間は、学ぶために動物のもとへ行き、彼らから薬草や矯正的な医療行動の知識を初めて得たのです。
この時代、人間は「自我」という個別の意識を先鋭化させる前の段階にあり、自然界の他の生命と意識レベルで深く共鳴していました。
動物たちは、生存のための本能的な叡智を持つ「教師」であり、人間は謙虚な「生徒」でした。
トーテムポールに刻まれた動物たちが、単なる信仰の対象ではなく、かつて私たちが対等なパートナーとして対話した、偉大な教師たちの姿だったとしたら…。
この視点は、私たちが近代化の過程で失ってしまった自然との深いつながりを思い起こさせてくれます。
人魚や有翼人 – 消えた種族の可能性

さらにセスは、私たちの想像力を掻き立てる、驚くべき可能性に言及します。
それは、現在の人類とは異なる進化の道を歩んだ「確率的な種」の存在です。
セスによれば、進化とは、私たちが教えられてきたような「猿から人間へ」という単一の直線的なプロセスではありませんでした。
むしろ、それは意識が物理的な形態を探求するための、「生命形態とパターンの、無数の方向への並行した爆発」 だったのです。
この地球の黎明期、何世紀にもわたって、「アニマル・マン(動物的人間)」と「マン・アニマル(人間的動物)」が共存していました。
意識は、人間と動物という明確な境界線が引かれる前の、より流動的で実験的な状態にあり、あらゆる可能性を試していたのです。
私たちが知る神話や伝説は、この壮大な実験の記憶であり、私たちの「公式の歴史」からは姿を消した、他の知的生命体の存在を伝える「魂の化石」なのです。
水中の同胞たち:イルカが示すもう一つの地球
セスは、かつての地球には、イルカのように高い知能を持ち、水中に文明を築いた種が存在したと語ります。
私たちが知る「人魚伝説」は、その記憶がロマンチックに脚色された名残なのかもしれません。
セスはさらに具体的に、人間と魚類を組み合わせたような、チンパンジーと魚を合わせたような哺乳類が存在したことにも言及しています。
彼らは驚くべき速さで動き、時には何日も陸上で過ごすことができたといいます。
しかし、最も衝撃的なのは次の視点です。
「他の確率的現実では、水棲哺乳類が優勢です。彼らは、あなた方が水を耕すように陸を耕し、あなた方が今、水中で活動する方法を学び始めたばかりであるように、彼らは今、陸上で活動する方法を学び始めたばかりなのです」
つまり、この地球の別の「確率的バージョン」では、彼らこそがこの星の支配者であり、私たち人間の方が、海に住む特殊なマイノリティである、という現実が同時に存在しているのです。
このことは、私たちがいかに人間中心的な世界観に囚われているかを思い知らされます。
空の賢者たち:天使のイメージの原型

同様に、セスは巨大で高い知性を持ち、人間と交流した「有翼人(人々)」も存在したと述べます。
彼らは、神話に出てくるような翼を持つ人間ではなく、むしろ**非常に知的な「鳥類」**であり、独自の語彙と美しい歌を持っていました。
彼らは単に空を飛ぶだけでなく、初期の人類と協力的な関係を築いていました。
例えば、崖のそばで遊ぶ人間の子供が落ちそうになると、それを助けることもあったといいます。
古代の人々にとって、空から舞い降りてきて危機を救ってくれる、美しい歌声を持つこの賢い存在は、畏敬の対象であったことでしょう。
これらの記憶が、後に天使のイメージへと変わっていったのだと、セスは言います。
私たちが天上の存在として思い描く「天使」のイメージは、かつてこの地球上で物理的に共存していた、別の知的生命体との具体的な交流の記憶が、時代を経て神聖化・象徴化された姿だったのかもしれません。
なぜ彼らは「消えた」のか? – 意識の選択
では、なぜ私たちの現実から、彼らの姿は見えなくなってしまったのでしょうか。
それは、彼らが生存競争に敗れて「絶滅」したからではありません。
セスによれば、それは私たち人類の意識が、特定の方向性へと「特化」することを選択した結果なのです。
私たちの祖先は、物理世界を精密に操作し、分析的な思考を発展させる「自我意識」という道を歩むことを選びました。
この道は、科学技術や今日の文明を生み出しましたが、その代償として、かつて持っていた動物や他の種との流動的で共感的なつながりを、意識の表面から切り離す必要がありました。
私たちは、彼らが「いない」現実を集合的に選択したのです。
しかし、それは消滅を意味しません。
彼らは、別の確率的現実において、今もなお彼ら自身の進化の物語を続けています。
彼らは私たちの「過去」ではなく、私たちの「確率的な現在」の隣人なのです。
神話や伝説は、決して子供だましの作り話ではありません。
それらは、私たちの意識が別の可能性を選んでいたなら、私たちがなっていたかもしれない、もう一つの人類の姿を映し出す、深遠な「記憶の貯蔵庫」なのです。
バシャールの供述によると、イエティや人魚といった多種族の伝説は、実際に地球上に存在していた、あるいは異次元で存在する生命体や遺伝子実験の記憶に関連していると説明されています。
- かつて実在した種族:
サスクワッチやイエティは、過去に地球上に存在した生物学的種族です。現在でもこれらの存在が稀に人に見られることがありますが、彼らは自身の周波数を自在に操ることが出来ると述べられています。 - 遺伝子実験の記憶:
ミノタウロスや人魚は、アトランティス時代に行われた遺伝子操作によって生み出された存在の記憶が、伝説として語り継がれているものです。 - 集合意識の具現化:
妖精や小人などの「エレメンタル」は、地球の集合意識(ガイア)がエネルギーから創り出した、目には見えない実在の生命体です。 - 異次元の存在:
龍(ドラゴン)は、異なる周波数次元に存在する生命体が、人間の脳に干渉し、そのように認識させている姿だと説明されています。
あなたのDNAに刻まれた、すべての種の記憶

では、それらの記憶はどこにあるのでしょうか?
セスは、私たちの身体そのものが、壮大な記憶の貯蔵庫であると示唆します。
中編で触れた「意識の単位(CU)」がすべての情報の担い手であるように、あなたの細胞、そしてDNAは、この地球で経験されたすべての生命形態の「確率的な青写真」を、潜在的に保持しているのです。
これは、現代科学で「ジャンクDNA」と呼ばれている、機能が未解明なDNAの大部分に、そうした古代の記憶や、まだ発現していない未来の可能性の設計図が眠っている、という可能性を示唆しているのかもしれません。
あなたの中には、空を飛んだ種の記憶も、水中で暮らした種の叡智も、そして動物と心を通わせた時代の感性も、すべてが眠っているのです。
意識の進化と「神」という青写真

人類の歴史は、意識の進化の物語でもあります。
その進化の過程で、私たちは常に「神」という概念と共に歩んできました。
セスは、この「神」という概念こそが、人類が自らの可能性を最大限に引き出すための、極めて重要な「青写真(ブループリント)」であったと解説します。
神々の概念は、人類の進化の道標だった
古代の神々が、なぜ動物や自然の力を象徴する姿をしていたのでしょうか。
セスによれば、それらは、人類がかつて持っていた、あるいはこれから発展させうる様々な意識の側面を具現化した「理想像」でした。
「神々のイメージは、意識がそうであったように変化しました。歴史の表舞台から消えていった様々な神々の概念は、あなた方の言葉で言えば、追求されなかった発達の領域を表していますが、それらは今もなお潜在的に存在しています」
神々は、私たちが目指すべき進化の方向性を示す、内なる羅針盤の役割を果たしていました。
私たちは神々の物語を通して、勇気、知恵、愛、そして創造性といった、自らの内に眠る神聖な資質を学んできたのです。
キリスト意識と西洋文明の発展 – なぜその「確率」が選ばれたのか
数ある神々の概念の中から、なぜ西洋文明は特定の「神」のイメージを選択したのでしょうか。
セスは、歴史的に知られるキリストの教えが、西洋文明における特定の「自我意識」の発達を促すための、極めて重要な青写真として機能したと述べます。
西洋文明が強調したのは、父なる神(God the Father)と、自然を支配する人間、という側面でした。
これにより、自然との一体感を一時的に「忘れ」、自我を確立し、科学技術を発展させ、物理世界を積極的に操作するという、特定の「確率」が選択されました。
この流れは、宗教改革を経て、最終的には産業革命や現代のテクノロジー文明へと繋がっていきます。
これが良い悪いということではなく、人類が「自我の探求」という壮大なテーマを追求するために、自ら選び取った一つの発達経路だったのです。
【ユング心理学との比較】集合的無意識と元型
セスの言う「神々の青写真」は、心理学者カール・ユングが提唱した「集合的無意識」と「元型(アーキタイプ)」の概念と驚くほどよく似ています。
- 集合的無意識:
ユングは、個人の無意識のさらに深層に、人類全体に共通する無意識の領域が存在すると考えました。
これは、太古からの人類の経験が蓄積された、巨大なデータベースのようなものです。 - 元型:
その集合的無意識の中に存在する、普遍的なイメージやシンボルのことです。「グレートマザー(太母)」「ワイズ・オールドマン(賢い老人)」「トリックスター」など、世界中の神話や夢に共通して現れるこれらの元型は、私たちの行動や精神に無意識のうちに大きな影響を与えています。
セスの言う「人類の魂の記憶」や「神々の青写真」は、ユングの言う「集合的無意識」と「元型」の、より広大で多次元的なバージョンと捉えることができます。
神話や宗教は、この深層心理に存在する普遍的なエネルギーを、それぞれの時代の文化に合わせて物語として表現したものなのです。
あなたが「知られざる現実」を創造する3つの役割
さて、ここまでの壮大な知識を、私たちはどう実生活に活かせばよいのでしょうか?
セスは、この「知られざる現実」を探求し、自らの人生をより豊かに創造していくために、私たち一人ひとりが担うことのできる3つの役割を提示します。
それは、あなたの中に眠る、新たな才能の扉を開く鍵です。
① 真の夢見の達人(ドリーム・アート・サイエンティスト)になる
私たちは毎晩夢を見ていますが、その真の価値と可能性をほとんど活用していません。
現代社会では、夢はしばしば、日中のストレスが作り出す無意味な幻覚や、脳のランダムな活動の副産物と見なされがちです。
セスは、こうした見方こそが、私たちを強力な創造の源泉から遠ざけていると指摘します。
セスによれば、夢の世界は、私たちが体験する物理的現実が創造される、壮大な「アトリエ」または「実験室」です。
そこでは、未来の可能性が試され、問題解決のためのシミュレーションが行われ、やがて物理次元で形となる出来事の「青写真」が描かれているのです。
真の「夢見の達人(ドリーム・アート・サイエンティスト)」とは、このアトリエの主(あるじ)となることを目指す探求者です。
彼らは単に夢を記憶するだけでなく、
- 夢の法則を学ぶ:
夢の世界にも独自の法則や秩序があることを理解し、その環境に意識的に慣れ親しんでいきます。 - 内なる象徴を解読する:
自分自身の夢に現れる象徴(シンボル)が、個人的な信念や感情、そしてより深い自己からのメッセージとどう結びついているかを学びます。 - 確率的現実を旅する:
熟達するにつれて、単なる象徴的な夢を超え、他の「確率的現実」を訪れることができるようになります。
そこで得た情報やインスピレーション、あるいは「もう一人の自分」から学んだスキルを、目覚めた後の世界での創造活動や問題解決に活かすのです 。
この役割を担うことは、あなたの人生の半分を占める「眠りの時間」を、無自覚な休息から、意識的な創造と魂の成長のための、豊かで実りある時間へと変容させることを意味します。
② 真の精神物理学者(メンタル・フィジシスト)になる
現代の科学は、対象を客観的に分析するために、観察者自身をそこから「分離」することを前提としています。しかし、セスはこのアプローチの限界を明確に指摘します。
「あなたが研究対象から自分自身を分離している限り、あなたはその現実の図表(ダイアグラム)を提示することしかできず、その生きた性質を理解することはないでしょう」
セスが提示する「真の精神物理学者(メンタル・フィジシスト)」は、それとはまったく逆のアプローチ、すなわち「一体化による理解」を実践する探求者です。
彼らは、研究対象と自らの意識を融合させ、その内面から本質を直接的に理解しようとします。
これは、セスが語る、アインシュタインが思考実験で相対性理論の着想を得たというエピソードにも通じます。
彼は数式からではなく、光のビームに乗る自分を想像するという、意識の内的探求から、宇宙の真理を掴んだのです。
真の精神物理学者は、
- 意識を道具とする:
外的な器具ではなく、自らの意識こそが、現実を探求するための最も精緻なツールであることを知っています。「小さな道具で宇宙をつつき回すのではなく、自らの意識を…多くの開かれた扉へと流れ込ませる」のです。 - 共感と感情をデータとする:
対象の「内なる声」に耳を澄まし、そこから得られる「感じ」や「直感」を、客観的な数値と同じくらい価値のあるデータとして扱います。セスのオレンジの比喩がこれを的確に表しています。オレンジを分析して成分を知ることはできても、その「オレンジらしさ」は、それを味わい、感じることでしか理解できないのです。 - 生命への敬意を持つ:
このアプローチは、必然的に生命への深い敬意に基づきます。
セスは「破壊することによって何かを理解できると信じるのは馬鹿げている」と述べ 、対象を破壊し分解するのではなく、その全体性と意識に敬意を払い、一体化することでしか、真の知識は得られないと説きます。
この役割は、私たちが世界を「分析すべき対象」としてではなく、「対話し、共鳴すべきパートナー」として捉え直す、新しい科学の時代の到来を告げています。
③ 完全なる医者(コンプリート・フィジシャン)になる
現代医療は、病気を「敵」とみなし、それを分析し、打ち負かすことに特化しています。
しかし、そのアプローチでは、なぜある人は病気になり、別の人はならないのか、なぜ「奇跡的な治癒」が起こるのか、という根本的な問いには答えられません。
セスが言う「完全なる医者(コンプリート・フィジシャン)」は、病気の専門家ではなく、「健康の専門家」です。
「真の医療専門職は、文字通り、健康専門職であるべきです。それは健康な人々を探し出し、彼らから健康を促進する方法を学ぶべきであり、病気を図式化する方法を学ぶべきではありません」
「完全なる医者」は、健康と病気が、個人の意識、信念、感情、そして人生の目的と分かちがたく結びついていることを深く理解しています。
- 健康の力学を理解する:
彼らは、生命力や活力の源泉がどこにあるのか、そしてそれがどのように心身の健康として現れるのかという「健康の力学」を探求します。 - 患者の自己治癒力を引き出す:
彼らの役割は、薬や手術で病気を取り除くことだけではありません。
患者が自らの信念や感情のパターンに気づき、内なる自己治癒力を最大限に引き出す手助けをすることこそが、彼らの真の仕事です。 - 自らが健康の体現者である:
最も重要なのは、彼ら自身が心身ともに活力に満ち溢れていることです。「不幸な人々は、あなたに幸せになる方法を教えることはできません。病気の人々は、あなたに健康になる方法を教えることはできません」。
彼らの存在そのものが、周りの人々に健康とは何かを教え、癒しをもたらすのです。
この役割は、私たち一人ひとりが、自らの健康の責任者であり、創造主であることを思い出すための道筋を示しています。
内なる叡智(プライベート・オラクル)に繋がり、人生のブループリントを読み解く
これら3つの役割は、それぞれが独立した道でありながら、すべてが同じ一つの目的地に繋がっています。
それは、あなた自身の**「プライベート・オラクル(内なる神託)」**の声を聞くことです。
「プライベート・オラクルとは、内なる多次元的な自己の声です。つまり、その人のパーソナリティに完全には含まれていない部分、パーソナリティとその物理的な付属物がそこから湧き出る、未知の構造の部分です」
これは、時空を超えて存在する、あなたのより大きな自己、魂そのものの声です。
私たちの日常的な意識を船の「操舵手」に例えるなら、プライベート・オラクルは、海図(すべての確率)と船の現状(心身の状態)、そして最終的な目的地(魂の目的)のすべてを把握している「船長」のような存在です。
操舵手である私たちは、日々の荒波に対応することで精一杯かもしれませんが、船長は常に最適な航路を知っており、その導きを私たちに伝えようとしています。
この「声」は、必ずしも言葉として聞こえるわけではありません。それは、
- 直感や**「虫の知らせ」**として
- 特定の行動への、理由なき強い衝動やワクワクする感覚として
- 夢の中の象徴的なメッセージとして
- ふとした瞬間に訪れる**「あっ、そうか!」という閃き(エピファニー)**として
など、様々な形で私たちの意識に届けられます。
プライベート・オラクルとは、宇宙の普遍的な叡智を、あなたという個人に合わせて「翻訳」してくれる、あなた専用のガイドなのです。
人生の「ブループリント」を読み解くということ
この内なる叡智と繋がることで、あなたは自分の人生の「青写真(ブループリント)」を読み解くことができるようになります。
ここで重要なのは、ブループリントとは、決して変えることのできない「運命」や「宿命」ではないということです。
それは、セスが強調するように、固定された設計図ではなく、**あなたの最も好ましい成長と充足のための、ダイナミックで生きた「理想的な可能性の地図」**なのです。
この地図には、あなたが最も輝ける道筋、あなたが開花させるべき才能、そしてあなたが乗り越えることで大きく成長できる課題などが示されています。
プライベート・オラクルの声に耳を澄ますことは、この地図を読み解き、日々の無数の選択肢の中から、最もあなたらしい、喜びに満ちた道を選び取るための、最高のナビゲーションを得ることに他なりません。
- 夢見の達人は、夢の象徴という言語を通して、この地図の断片を読み解きます。
- 精神物理学者は、万物との一体感という深い共鳴を通して、地図が示す世界の美しさと調和に触れます。
- 完全なる医者は、心身の健康という完璧なフィードバックシステムを通して、自分が地図通りの航路を進んでいるかを確認します。
なぜオラクルの声は聞こえにくいのか?

これほど素晴らしい内なるガイドが存在するのに、なぜ私たちはその声をはっきりと聞くことができないのでしょうか?
その最大の理由は、私たちの日常的な意識(自我)が発する**「ノイズ」**にあります。
社会的な常識、過去の経験からくる恐れ、未来への不安、他者との比較、そして「こうあるべきだ」という硬直した信念…。これらの思考や感情のノイズが、プライベート・オラクルからの繊細で静かな信号をかき消してしまうのです。
私たちは、内なる声よりも、外側の世界の大きな声に耳を傾けるように、あまりにも長く訓練されすぎてしまったのです。
内なる叡智と再び繋がるための第一歩
しかし、この繋がりを取り戻すことは、誰にでも可能です。それは、何か特別な能力を「獲得する」ことではなく、本来持っている能力を**「思い出す」**プロセスです。
- 静寂の時間を作る:
まずは、意識のノイズを鎮める時間を持つことが不可欠です。
瞑想、自然の中の散歩、あるいはただ静かにお茶を飲む時間でも構いません。
心が静寂を取り戻すとき、初めて微細な声が聞こえるようになります。 - 誠実に問いかける:
あなたの内なる船長は、あなたの真摯な問いかけを待っています。
眠りにつく前や静かな時間に、「私にとって最も大切なことは何ですか?」「次の一歩として、私がすべきことは何ですか?」と心の中で問いかけてみてください。答えを急かさず、ただ問いを宇宙に放つことが重要です。 - あらゆるチャンネルに心を開く:
答えは、思考としてやってくるとは限りません。シャワーを浴びている時のふとしたアイデア、心惹かれる本のタイトル、友人との会話の中の何気ない一言、繰り返し見る夢のパターン、そして「意味のある偶然の一致(シンクロニシティ)」など、あらゆる形でサインは送られてきます。 - 信頼し、行動する:
最も重要なステップは、受け取った直感を「信頼」し、たとえそれが非合理的に見えても、小さな一歩を踏み出してみることです。
その小さな行動が、あなたの信頼を宇宙に示すサインとなり、プライベート・オラクルとの絆をさらに強固なものにしていくのです。
どの道を選んでも、あなたは究極的には、あなた自身の最も深い部分に存在する、無限の知恵と愛の源泉へと還っていくのです。
まとめ:知られざる現実は、あなたのすぐそばにある
三度にわたる長い旅路の末、私たちは今、出発点に戻ってきました。しかし、その景色はもはや同じではありません。
「確率的な自己」「意識の単位」「多次元的な時間」「魂の記憶」…これらの概念は、遠い宇宙の果ての話ではなく、今、ここ、あなた自身の内側で常に息づいている現実です。
あなたの夢は、確率的な未来を創造するアトリエです。
あなたの身体は、地球の全生命の記憶を宿す生きた図書館です。
そしてあなたの心は、時空を超えた叡智に繋がる神聖な神殿なのです。
『知られざる現実』の探求は、日常から逃避することではありません。
むしろ、あなたの日常こそが、無限の次元と繋がる奇跡的な交差点であることを発見する旅です。
この知識を胸に、どうぞご自身の人生を、より深く、より愛情を込めて見つめてみてください。
そこには、あなたがまだ気づいていない、無数の素晴らしい可能性が、あなたに発見されるのを待っているはずです。


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本書は英語版のみとなります。